4月21日。
自宅にこもるひびがつづいて、体重が気になるので、
今日はランチは軽めにしたいな、と思って、
大きなりんごまるまる一つ、ヨーグルトを掛けてたべるなんて贅沢なことをしてしまおう、と思いつく。
両親は、ふたりで午前の散歩がてらに、ランチを自分たちで済ませてくるので、
今は私のことだけ考えれば良いのである。
しかし、りんごは母の好物だ。
なんとなく、ひとりで食べ尽くしてしまうのは、と思って、
居間のテーブルにすこしだけ小皿におすそわけをしておいた。
しばらく自分の部屋にこもって本を読み、一階に降りてくると、
廊下に、楊枝が一本転がった小皿がぽつんとおいてある。
居間から台所に行くか、トイレに行くか、というのが、母の自主的な二大行動パターンなのだが、
母はリンゴを食べ終わって、お皿を持って立ったは良いが、
間違ってトイレに行く方のドアを開けたら、がらん、と廊下が拡がっていて、
困って下に置いたのだろう。
たとえば、カラスが荒らしたゴミ捨て場の様子は、
これは悪意を持った人間の荒らした様子とは違うな、と一目で分かるように、
ぽっと、玄関前の廊下に小皿などおいてあると、
妙な存在感で目に飛び込んでくるのである。
そういう気持ちの傷付きは、ずっと続いている。
4月20日。
夕食中、母の箸から何か小さな物が落ちてしまった。
母は、それを絨毯から指でひろって、
まだ一口も口を付けていないお味噌汁の中に捨てた。
普段からお味噌汁はあまり母は好まないようだが、
自分がいらないからといって、それをゴミ捨て場にするのはどうかと思う。
つくった私の目の前で。
元気でいてくれるだけ、いいのだけれども。
Saturday, 25 April 2020
Subscribe to:
Post Comments (Atom)
No comments:
Post a Comment