Saturday 18 April 2020

秋からはじめたプロジェクト(前篇)

三月最終週から、たった一度の避けられない仕事を除いて、住んでいる町を出ていない。
一度も友人に会っていない。
電車も乗っていない、タクシーも乗っていない。
だけど、歩いてはいる。
野菜が一番新鮮で、好きな物が大体そろうスーパーマーケットまで片道六キロ。往復で十二キロ。
あるいは、家の裏の山道へはいって頂上まで。
人とあまりすれ違わない道を。

去年の秋から、はじめたプロジェクトがある。
第一のきっかけは、グレタ・トゥーンベリさんだった。
大人は経済を気にして、科学を無視して、子供の未来に気が付かない振りをして、
平気でいるけど、地球は火事だ、という力強い言葉。
自分にはなにができるだろう、と思った。
地球環境のために、と考えると、レジ袋を減らす、食品や洋服の無駄を減らす、ということは、意識してやるようにしているが、なんだかまだ漠然としていた。
そこに第二のきっかけがやってきた、東京近郊でも、大体50種類くらいの蝶がいることを知った。
そんなにたくさんの蝶がいるのか、と意識して散歩するようになって、
たまたま目の前を横切った蝶がとてもきれいだったので、調べてみたら、モンシロチョウらしい。
この経験は衝撃的だった。モンシロチョウなら知識としては知っている。
なのに、モンシロチョウも、私はわからないのだ、ということ。

図鑑に載っているような静止像だったら、なんとなく知っている。
でも動いているときは、慣れない眼にはモンなどうまく判別できなくて、ただ白くて、
白いのだったら他の種類もいるはずだから、ビデオに撮って、停止してコマ送りして、
モンや、羽の裏が緑っぽい色をしていることを理解して、図鑑で調べたら、
モンシロチョウだったのである。

自分の家の周りに、どんな生き物がいるかも知らなくて、
というより、モンシロチョウすら知らないで、なにが環境問題だろう。
わたしにグレタさんの言葉に対応する術が一つも浮かばなかったのは、
自分が具体的に地球に親しんだことがなかったからだ、と思い至った。
地球上の植物や、動物の性質を知るような関わり方をしたことがない。
それで、家の周りにいるはずの50種類の蝶々を写真かビデオにとる、というプロジェクトをはじめたのである。

蝶は、意外と、ひゅっときて、なかなか花や葉にとまってくれないで、飛び去ってしまう。
自分の足下に長く留まってくれるような種から順々に集まっていった。
最初に驚いたのは、動きの中でこれがなんの蝶だと判断するのは不可能だと言うこと。
ほんとうに、静止像とは別物なのである。
また、動いているから、当然ビデオに撮るのが難しい。
遠いし、人の家の敷地だし、勝手に入れない、それに高い所だったりして、どんなに拡大しても届かない、それに速くて、追いつかない。
たまたまビデオに撮れたものを、家に帰ってきてから停止して、フレーム送りして、拡大して、図鑑と見比べる、それでもわからない、ということが続いた。
違う種類がやっと撮れた、と思っても、雌と雄の違いだったりした。
それでも毎日続けていると、いつもいるものがだんだんわかってきた。
あれは絶対に見たことがないな、というものが、たまたま近くまでやってきて、撮れたときは嬉しくなった。
秋の間に見た蝶で一番綺麗だと思ったのは、ムラサキシジミ。
今日の散歩もそろそろ終わり、というとき、ちょっと先の家の垣根に、ブルーのフラッシュが見えた気がした。それがムラサキシジミだった。
その一瞬は、いまでもスローモーションのように覚えている。
いそいでカメラをむけたのだった。
まだ、人生でたった一度しか見たことがない。




蝶が好きなのはどんな場所か、どんな時間帯に出るのか、それがわからなければ、撮れる種類は増えていかない。ゆっくり自分の家の周りの環境とつき合っている感触が増えていくのが嬉しかった。

冬の間は、ほとんど蝶々をみなかった。
蝶って、冬はいないものなのだな、どうしているんだろう、そんなことすら知らなかったし、越冬についてはまだ調べていない。
3月の終わりくらいから、歩いていると、モンシロチョウを見るようになった。ベニシジミもよく見かける。また、蝶々が出てきた・・・!

新型コロナウィルスで、こんなにも生活が変わるとはおもってもみなかった。
3月の終わりから私は、毎日人のいないところを歩く生活が始まった。
すなわち、蝶々を探しに歩いているのである。



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