新約聖書でずっと頭に残っている話。
「ぶどう園の労働者」のたとえ(新共同訳から。)
「天の国は次のようにたとえられる。
ある家の主人が、ぶどう園で働く労働者を雇うために、
夜明けに出かけていった。
主人は、一日につき一デナリオンの約束で、
労働者をぶどう園に送った。
また、九時ごろ行ってみると、
何もしないで広場に立っている人々がいたので、
『あなたたちもぶどう園に行きなさい。ふさわしい賃金を払ってやろう』と言った。
それで、その人たちは出かけて行った。
主人は、十二時ごろと三時ごろにまた出て行き、同じようにした。
五時ごろにも行ってみると、
ほかの人々が立っていたので、
『なぜ、何もしないで一日中ここに立っているのか』と尋ねると、
彼らは、『誰も雇ってくれないのです』と言った。
主人は彼らに、『あなたたちもぶどう園に行きなさい』と言った。
夕方になって、ぶどう園の主人は監督に、
『労働者たちを呼んで、最後に来た者から始めて、最初に来た者まで
順に賃金を払ってやりなさい』と言った。
そこで、五時ごろに雇われた人たちが来て、
一デナリオンずつ受け取った。
最初に雇われた人達が来て、
もっと多くもらえるだろうと思っていた。
しかし、彼らも一デナリオンずつであった。
それで、受け取ると、主人に不平を言った。
『最後に来たこの連中は、一時間しか働きませんでした。
まる一日、暑い中を辛抱して働いたわたしたちと、
この連中とを同じ扱いにするとは。』
主人はその一人に答えた。
『友よ、あなたに不当なことはしていない。
あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。
自分の分を受け取って帰りなさい。
わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。
自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。
それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。』
このように、後にいる者が先になり、先にいる者が後になる。」
Saturday 20 October 2012
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1 comment:
これは明白に経済学の話ではなく倫理についての話なのでしょうが、解釈が難しいです。先に来るものよりも後に来るものの方がより効用が大きいという、この世界の不条理の1つを説明しようとしているのでしょうか?
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