Monday, 30 August 2010

あたたかな日のこと



この写真は、津口るいさんに撮って頂いた写真。

こんな風に写してもらえることってあるんだ・・・と本当に感動した。
るいさんとちゃんとお話ししたのはこの時が初めてだったのに、
大切な気持ちを拾い上げてもらったような気がした。しかも、こんなにあったかく・・
尾道へ遊びに行ったとき、不思議なパン屋さんに連れて行ってもらって。
本当に津口家のみなさんに優しくして頂いて、
この日のことは、本当に、あったかく、あったかく、思い出す。
それに、この日、るいさんに、はじめて一眼レフを触らせてもらって、
実はそれが、私が一眼レフを買う直接のきっかけだった。

Friday, 20 August 2010

Tuesday, 17 August 2010

Marina Abramovicの作品の中にかいてあったこと。

Art vital

no fixed living-place
permanent movement
direct contact
local relations
self-selection
passing limitations
taking risks
mobile energy
no rehearsals
no predicted end
no repetition
extended vulnerability
exposure to chance
primary reactions

やはりあまりにも、すごいと思う。
Marinaのすごさは、この通りに彼女が生きていることだ。

Friday, 6 August 2010

七月のこと

気が付いたら、あっという間の一ヶ月。
毎日、喫茶店に行って、やることをやって、
自分の感情からはできるだけ焦点を外して、
大切なもののことを考える練習をする
という、繰り返しの日々だった。

でも、そんな間に起こった大切な事、いくつか。

山下残という人のパフォーマンスを見に行こう、と友人に誘ってもらった。
事前に、「チケット料金の代わりとして、パフォーマンスと交換しても良いと思う品を持ってきてください」
というような趣旨のことが言われていて、
作品と交換できるものっていったら・・・命をかけるくらいに大切なものでなくてはならないんじゃないか、と思って、
どうしようかと考えたり、
でも自分が作品を作ることがこの先もしあったら、観客に対して強いることはあるだろうか、と考えたりした。
結局、ウィトゲンシュタインの「哲学宗教日記」を買って、その中に一枚、写真を挟んで持って行った。
それまでその人のことも作品のことも、全く知らなかった人に対して、今の私ができる最大限のことだった。
大切なものの交換ってどんなことだろう、とどきどきしながら見に行った。

その帰り道、友人と、議論になった。
作品の見方について。
そのときのせいいっぱいということについて。

その数日後、その友人は私を巣鴨の盆踊りに誘ってくれた。


その盆踊りでは、サラリーマンのおじさんが、安定した腰で、ミニタオルを首の後ろに挟みながら、
何十年と身体に染みついた動作で、軽々と、だけど、今しかない、というように踊っていて、
また、
一人の白い浴衣を着て、赤い帯を締めた少女が、これまた、自分の喜びをかみしめながら、
でも呼びかければすぐにでも、はい、といって笑顔を見せるような感じで、ほんとうにしなやかに踊っていたのが、
なんだか本当に今でも心に残る七月だった。

Wednesday, 14 July 2010

7月



今日、家を一歩出たら、全く空気が違ってた。
なぜだか、画板を持って写生に出かけた小学校の図工の時間を思い出した。

Friday, 25 June 2010

シルヴァプラーナ湖のほとりにて



ニーチェがシルス・マリアに夏の間暮らし、シルヴァプラーナ湖の畔を散歩していて
永劫回帰のインスピレーションを得たと言われている岩がある、と聞いていた。
その岩を探して、歩いた。
親に一時間くらいでみつかるはずだからと説得して連れてきてしまったのに、
歩いても歩いてもそれらしきものがなく、
さらには、雪の残る湖の風が本当に冷たくて、凍えそうだった。
焦った私は、たまたま通りかかった人に
「ニーチェの岩を知っていますか?」と聞くと、
「????岩?どんな・・」
「わたしも、よくわからないのですが、ニーチェの・・・」
「????ごめんなさいね、私もここの人じゃないの。石?そこらへんにいっぱいあるけれど・・・」
確かにどれってわかるんだろうか・・と思ったけれど、
その人に、
「どっちにしろ、ここまでいったら、引き返すより、隣村までいった方が早いわよ。」
「隣村にいって、サンモリッツまで帰るバスはあるでしょうか・・・」
「大丈夫!バスはね、あそこに見えるお城の横に橋が架かっているから、その横から出てるから!
よくわかんないけど、この先に滝があるから、その辺りなら石はもっといっぱいあるわよ!
みつかるといいね、よくわからないけど(笑)!」
と教えてもらうと、みんなの顔に希望のあかりが灯って、また歩いて行くことができた。
(隣村まであるけば丁度湖を半周したことになるのだけれども、
こっちの半周のどこかにあるはずだと情報を仕入れていたし、
両親も、同じ道をまた引き返していくのが憂鬱だったようで、ほっとしていた。
でも結局2時間も歩かせることになってしまったのだった。)


それで、ああ、これは間違いない、と思った岩がこれである。

ここを境に、風景が一変した。
厳しく(冬だから余計に)寂しい針葉樹の一本道が、がらりと開けて、
まるでハイジにでも出てきそうな草原へと変わる。


ニーチェと同じ場所で、私が全く同じインスピレーションを得られるということはないのだけれども、
この一変ぷりというのはなんだか見事で、
私も覚悟を決めてがんばろう、と思ったのだった。



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チューリッヒ、サンモリッツ、ツェルマット、ジュネーヴ、パリ、と移動した9泊11日の旅だった。
親にとってスイスは憧れだったらしく、なんとか企画して、これが親との初海外旅行になったのだけれども、
随分体育会系の旅になり、
親にしてみれば、何で岩?とかそういう感じのことも多かったかも知れず、
更には初めてスリにもあったりして、
本当に反省しているけれど、
ジュネーヴでは大学時代の友達が、卒業以来会っていなかったにもかかわらず、
なんとtwitterで私を見つけてくれたことをきっかけに、私の両親を含めて案内してくれたり、
最後のフランスでは、突然兄が登場し、特別な旅になったのだった。

もう、とっくに日本に帰ってきているのだけれども。。。

Saturday, 5 June 2010

ニーチェの家



私は人生の中でニーチェに出会えなければ、悲しかった。
彼に出会って私は、本当の友達というのは、時間的にも空間的にも離れた場所にいるのかもしれない、
と思うようになった。
その考えは、私にとっては大切な生き方になった。

観光シーズン直前ということで、あと一週間たたないと、
ニーチェが夏の間滞在し、ツァラトゥストラの2部を書きあげたという
ニーチェハウスの中はみることはできなかった。
けれども、この家の前まで行き、この緑と白のどこか孤独な、憂鬱の、でもとてもかわいらしい家をじっくり眺めた後、
玄関の前に立って、振り向いたときの景色に、驚愕した。
ごつごつとした切り立った険しさ。
ツァラトゥストラの山。