山の畑の中にうちのお墓はある。
お盆になると、庭の入り口に、ご先祖様が滞在するようの、砂のおうちを作る。
毎日夕方お線香を持って近所のそのおうちをまわることになっている。
母親がお墓に行って、ご先祖様たちを連れてくるのだけれども、
いつも母親は、おんぶするように、腰を曲げて、腕を後ろで組んで、
よっこらしょ、とうちからお墓までの400メートルくらいの坂道を歩いてくる。
私も一緒に行くときは、私も面白がって同じようにするのだけれども、
これって、一回一人ずつ?ときくと、
母は、うふふとわらって、いいの全員背中に乗ってるの、と答える。
ご先祖様達のお帰りは、川だ。
うちからお墓と反対方向に300メートルくらいいったところの川に、
お団子やらなにやらを持っていって、
キュウリや茄子の馬などを流す。
お盆の前になると、お花を買いに行ったり、お墓の掃除に行ったり、
両親が何となく殺気立つ。
お坊さんが来るよ、と友人達にいったら、本格的だねえと驚かれたけれども、
本格的というふうにはいえないかもしれないし、
おじいちゃんが生きているときより、砂のおうちも適当だけど、
母と一緒に、おじいちゃんを迎えに行くその時間は、
とても好きな時間である。
この土地なのか、この母なのか、
なんとなく、幸福な気持ちになってくる。
Sunday, 12 August 2012
Monday, 23 July 2012
会話
ある日、目の見えない人たちがおしゃべりをしていた。
おまえにとって、月ってどんな?
おれはねえ、ボールだよ、ボール。
私も混ぜてもらって言った。
一度だけ、オーストラリアの真っ暗な海で月を見た時、 実は、この地球の外側が光に満ちていて、 地球自体は真っ暗な球で、その地球に空いた穴、それが月で、そこから光が差し込んできているんじゃないかって、思ったことがある。
えーーー!
本当に通じ合うってこういうことっていう気がした。
私は、その人のボールがどんな感じなのかわからない。
私の、地球の穴が、どんな風にイメージされたのか、あるいは聞こえたのか、わからない。
けれども、 互いに驚いて、 何かを交換した。
おまえにとって、月ってどんな?
おれはねえ、ボールだよ、ボール。
私も混ぜてもらって言った。
一度だけ、オーストラリアの真っ暗な海で月を見た時、 実は、この地球の外側が光に満ちていて、 地球自体は真っ暗な球で、その地球に空いた穴、それが月で、そこから光が差し込んできているんじゃないかって、思ったことがある。
えーーー!
本当に通じ合うってこういうことっていう気がした。
私は、その人のボールがどんな感じなのかわからない。
私の、地球の穴が、どんな風にイメージされたのか、あるいは聞こえたのか、わからない。
けれども、 互いに驚いて、 何かを交換した。
Saturday, 14 July 2012
霞海城隍廟にて
三つ目の廟となった、問屋街の真ん中にある小さな霞海城隍廟にて、
はじめてお線香を買って、自分もお参りをさせてもらう。
ここは恋愛の神様だそうで、
アナタ、ダイジョウブー。ゼッタイダイジョウブヨー。ガンバッテー。
と、すごくかわいいかおでいってくれたお母さんのお写真です。
作法を教えてもらったら、
まずは、外で、空に向かって、自分の名前をいって祈るところから、
始まるところがとっても印象的でした。
龍山寺
羽田から、台北に向かった。
フライトマップをみていたら、石垣や与那国のすぐ隣という感じで、
こんなに近いということに驚きながら、
台北についてすぐに、一番行ってみたいと思っていた
龍山寺へ向かった。
気温は36度もあって、かんかん照り。
なのに、
門を一歩はいると、
とにかくたくさんの人がいた。
お経か何かを各々読んでいる人々のまとまり、
おっきなお線香を持って祈っている人達、
なんだかわからない、果物やお菓子のセット、
おっきな紅い蝋燭、
そこで人が各々手を合わせていて、
だけど、反対の方からもこっちをむいて手を合わせている人達がいて、
何が起こっているのかぜんぜんわからなくって、
色んなことが起こりすぎていて、
もう私は驚きすぎて、
ほとんどパニックを起こしかけていた。
何が何だか分からなくて、
段々分かってきたときには、
これはわたし、感動しているのかも、と思った。
色々な神様の像があって、50センチくらいのお線香を持って
あっちを向いたり、こっちを向いたりして、順々に回っていく。
おばあさんも、若い女の子も、若い男の子も、子供も、
派手な格好の人も、地味な格好の人も、
誰でも、
毎日、
各々、という感じで、祈っているのだった。
特別なときに来ているという感じでは全然ないのだった。
カランカランカランという音が時々するのでなにかとおもったら、
二つの紅い木片みたいのを、地面に落として
何か占っているのだった。
たった一人で、何度も何度も落として、
没頭しているのだった。
とにかく、みんな、勝手に、とにかく祈っているのだった。
私は、ただひたすらそこにいさせてもらった。
外に出たとき、建物の細部や、神様などにまったく注意が向けられていなかったことに気が付いた。
とにかく私は人に感動していた。
まったく初めての体験をした。
(下の写真は、「行天宮」という廟でとった写真です。
龍山寺の衝撃で、いくつか廟を回りました。)
Friday, 13 July 2012
Sunday, 8 July 2012
一冊分
今日、三ヶ月で終わらせると決めた仕事が終わった。
一冊の本の翻訳。
前の本は二年かかった。
終わっても、世界は何にも変わって見えなくて、
ただ、手持ちぶさたになって、
いつものように、なんとなくネットサーフィン始めたら、
友達の日記が更新されてた。
あんまり驚いて、
私はぼろぼろなきました。
(昨日、明日終わるんじゃないかと思うということをメールしたときに伝えていたのです。)
私は英語をうまくしゃべることはできない。引っ込み思案の性格が災いして、あまり人としゃべれないので、留学しても、したらなおさら、恥ずかしくて言葉を発することができなかった。直近のオーストラリアの哲学科の体験は地獄だった。私が学んだのは、素敵な人の佇まいと、三冊分の英語と哲学。自分のやった分だけ。
今回の本もそういう意味で、一冊分。やれたこともやれないことも一冊分。
一冊の本の翻訳。
前の本は二年かかった。
終わっても、世界は何にも変わって見えなくて、
ただ、手持ちぶさたになって、
いつものように、なんとなくネットサーフィン始めたら、
友達の日記が更新されてた。
あんまり驚いて、
私はぼろぼろなきました。
(昨日、明日終わるんじゃないかと思うということをメールしたときに伝えていたのです。)
私は英語をうまくしゃべることはできない。引っ込み思案の性格が災いして、あまり人としゃべれないので、留学しても、したらなおさら、恥ずかしくて言葉を発することができなかった。直近のオーストラリアの哲学科の体験は地獄だった。私が学んだのは、素敵な人の佇まいと、三冊分の英語と哲学。自分のやった分だけ。
今回の本もそういう意味で、一冊分。やれたこともやれないことも一冊分。
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