Sunday, 25 December 2016

最高の結果を引き出す質問力

11月、約半年間編集協力させていただいた『最高の結果を引き出す質問力』が発売になりました。
茂木さんの本に携わらせて頂くと、いつも、作り途中に自分の人生が変わっていることを実感します。
今回は「どんなに絶望的な状況に思えても、やれることはいっぱいある。」
「普段の生活の中でも、工夫できることは無限にある。それをやらないで落ち込んだり、文句を言うだけになったりしてはいないか。」というメッセージを受け取って、
まだ練習中ですが、前よりずっと楽に生きられるようになりました。

茂木さんはこの本の中で、「鍵となる質問が出せること」が重要だと言っています。
鍵となる質問が出せる、というのは、普段漠然と悩んでいることを、実際に物事が一つ動くように、具体的に自分がアプローチできる問題に書き換えるという意味です。
「上司に怒られてばかりでつらい。どうしたらいいんだろう」と漠然と悩んでいるならば、「この人が怒る理由は何なんだろう?」と自分で質問して冷静に観察してみる。
そうしたら、私だけに怒っているわけではなく周りの人にも怒っているということが見えてくるかもしれない。
だったら、私が問題なのではなくて、その人自身が別のことでプレッシャーを感じている時期なのかもしれない。
ならばその人の負担を軽くするような手伝いを探せたら、もしかしたら状況はよくなるのかもしれない。
体調が悪い可能性もある?ならば病院に行くことをすすめてみる。
その人にはそういう感情のサイクルがある?ならば少しの間そっとしておく。
とにかく、仮説を立てて具体的にアプローチができる問題に書き換えてみる。
仮説は全部はずれて、全く状況が変わらない、それどころか悪化するということもありえるけれども、
ある状況に対して、自分で仮説を立てて工夫ができる、ということが質問力なのであって、「やりようがある」ということに気付き、その力がつくことで、救われていく側面があることは事実だと思いました。

鍵となる質問を出すとは、つまり、自分がとにかく一歩動く、ほんのちょっとでも良い方向に物事が動く可能性があることを考えて、実際にやってみる、(とりあえず結果は問わない、)という軽い一歩のことなのだと私は理解しています。

余談ですが茂木さんは、先日、
「あれもやらなきゃ」「これもやらなきゃ」「それなのにこれも入ってきた!」と私がパニックに陥りそうになっていた時、「アルゴリズムで生きろ」とおっしゃいました。
ついつい完璧を目指してしまうから、「ああ、とても時間内にはできない」と思ってしまうけれど、
アルゴリズムで生きるというのは、
締め切りはいつだからこれに与えられる時間は何日、あれには何日、と冷静に計算して、その時間しかさけないのなら、その分でできることをやればいいということ。
完璧を目指したらいつまでたっても終わらないから、何もできなくなるより、できる分だけやる生き方。
さらに別の予定が入ってきたり、病気になったりして、状況が変わったら、また計算し直して、やれる分だけやる。
やれない分はやれないのだからしょうがない。
アルゴリズムで生きることができる、つまりやれることを自分で考えて生きることができると、着実に経験は積み重なるとともに、不思議と人生が楽しく、軽やかになってくるのだと私は今実感しているところです。
たとえ絶体絶命の状況だと思っても、できることは、その中にはなくても、その外には、意外とあるのかもしれません。
そんな風に私自身が思わされたので、その茂木さんの哲学が伝わるように、編集協力させて頂いたつもりです。

やれる一歩を確実に出す練習をするために、この本がみなさまの助けになったら幸いです。

Amazon(最高の結果を引き出す質問力)






Sunday, 11 December 2016

The idealized box

As a child, by trial and error, I learned “if A, then B”.
If my hand touched things this way, they moved that way.
My action seemed to cause specific reactions, which made me want it happened again and again.
For only a moment of the touch, things were as if in darkness lit up together with me, and I wanted it to be lasted.
The round warm lights came to last, one by one enlarged the world of me, and grew to a bright square box, which began to slide, carrying me.
The inside had to be pure white, the outside was just a shadow.
The box was supposed to slide smoothly until the end I could not even imagine to grasp.
One day, the mainstay of the box cracked and the box rattled and oppressed me.
Each try to rebuild the mainstay with all my strength went good or bad by chance, while the box as a whole seemed to move down, oddly. It might be toward the end I came to be slightly able to imagine to grasp.
The outside world turned up, now taking a form of rugged rocks with strong shading, in which people were wandering around separately.
The resistance of the mainstay was the response of the real world to me.
Relatively the box became smaller and smaller, finally a boy came in and kicked it up into the air.
Farewell, my idealized box.

(Spoken words poetryのための作品No2.)

Thursday, 24 November 2016

San DiegoでSpoken word poetryをついに見る

Society for NeuroscienceでSan Diegoに行く。
3万人が集まる脳科学では最大の学会であり、幕張メッセのようなコンベンションセンターにぐねぐねとポスターが並び、毎日、また午前午後で入れ替わる。
あまりに広すぎて蟻にでもなった気持ちになるが、
歩いているだけで何が流行かはつかむことができる。
今回学会と同時に楽しみにしていたのは、Spoken WordsのLiveを聞くこと。
アメリカには、音楽のライブと同じように、大勢の目の前に立って言葉を話す、それに人が熱狂する場所があるらしい。
そういう詩のライブをみてみたかった。
San Diego, Spoken words eventsで検索すると、こんなカレンダーが出ていた。
http://www.poetryinsandiego.com
Open Micといって誰でも飛び入りで立てるような日があることにもドキドキする。
カフェで行われていることも多いようだ。
今回、学会のスケジュールの都合で行けたのは、Rebecca'sというカフェのOpen Micの日。
憧れのSarah Kayの様子などを何度も頭に描きながら、
脳科学の人々の場所を出て、ホームレスの人々のすごすトラム駅、閑静な住宅街、Bill Brysonの『walk in the woods』にでてきそうなtrailのある野性味溢れる公園、
一歩一歩通り過ぎて、ようやく着く。
入り口のドアには"Leave your worries at the door."と掲げられていた。
フー、息をついて入ると、
オレンジの暖かい照明に、一つとして同じ素材、同じ形のない、机やソファー。
そこに若者が10人組とか3人組とかで入っていて、
みんなコンピュータを開き、文章を書いている!
かっこよすぎて、ドキドキしながらあいている奥の席に座る。
みんな一体何をやっているんだろう、何を書いているんだろう、、
マイクの前に立つ直前の詰めでもやっているのだろうか。
すぐにはじまるんだろうか。
各自が作業に没頭していて、私がきょろきょろ見回していても、誰も私を気にしないし、
すぐに注文を聞きに来る人も居ない。

目に入る全てが新しく、そのままじっと座っていた。
しかし気持ちが落ち着いた後も、何も始まらない。
注文をしにカウンターへ立つと
結局、残念ながらこの日はなくて、今度の火曜日、ということだった。
San Diegoのダウンタウンから歩いてきたことを話すと、静かな物言いで、
「あらあらそれは大変。まずはお水を飲みなさい。」とたっぷり注いでくれた。
その人がレベッカさんである。
人を焦らさず、誰でも居させてくれる。ゆっくり、個人を見てくれるお店だった。

Spoken wordsはなくっても、文章を書いている人たちばかりの喫茶店。
コンピュータをもってこなかったので、ノートを開いて、みんなの真似をして、書いている本の構成を練る。
あっという間に夜になった。

そうしてこの日は終わって、火曜日。やっぱり向かった。
今度こそ、今度こそ、見られる!
あのドアを開ける、開けよう、というとき、おじいさん、おばあさんが三人連れだっていらっしゃる。
焦っちゃいけない。after you.
もう一度、息をついて中に入ると、
お年寄りたちがステージの目の前のソファーにゆったりと座って談笑している。
この間とは客層が違いすぎて、あれ?Sarah Kayは?という気持ちになったことは事実。
だけど、彼らが、舞台に立ちマイクの前で詩を読むために集まっているのである。
18時半に来て、エントリーして。
まったくすごいなあ。。。
10人くらいのすごく落ち着いた会ではあるが、一人一人の言葉をしっかりきいて拍手を送る。
あるおじいさんは、人の詩をきいていると、色々とインスピレーションを得るようで、ノートに何枚も書き付けていた。
「死とは」「愛とは」と彼らが次々舞台に立ってマイクの前で語る言葉の中で、私が聞き取れることはそんなに多くはなかったのだけれど、とにかく一時間の彼らの世界を呼吸した。

帰りの飛行機の約11時間のフライトで、全然寝付けなかったとき
ぼうっとした頭で蘇ったのは彼らである。私も詩を書いてしまった。すみません。
とにかく彼らの自由、勇気を胸に帰宅。

A Poetry Reading at Rebecca's in South Park





















With R.

Wednesday, 23 November 2016

The Hands

The hands used to take me to the umbrella shop, to the butcher’s, to the bakery, and to the ballet studio, 
while my mother was at work, with putting me on the back of the bicycle.
The fingers turned a hundred pages of the books the hands bought for me, 
fairy tales, old tales, and novels, and pointed the numbers on the fluorescent multiplication table.
When my grandma was absent, the hands put a pot on the stove and boiled instant noodles 
with lots of cabbage for a secret snack between us.
The hands remember me, even though his vision and hearing, and all episodes are gone, 
hold my hands, tighten and loosen, and make gentle smiles on his face, and on my face. 
Only through the warmth we connect each other. 
I still have the warmth, which keeps me away from his place. 
The hands never let me go.

Monday, 5 September 2016

美術の人たち

大学院に入って、茂木さんのところで脳科学を学び始めたちょうどその頃、
茂木さんは、東京芸術大学で週に一度授業をしていた。
自然に私も授業にもぐらせていただくことになって、
美術の世界の人たちと知り合うことが出来たのだった。

それによって、私の人生は変わったな、と思う。

一番変わったのは、人生で一番大切にするものは何か、という点。
世の中には、正しい/正しくないという清い倫理で生きる道と、
清濁併せ持った「質感」というものを大切にして生きる道の、
二つがあるのだな、ということを知った。
そして、救いのあるのは、後者だということもまた。

私の知っている美術の人たちには、
正解と不正解という概念がないようで、
例えば、私がやってしまった「失敗」を彼らに話した時には、
彼らの反応の中に、
気にするポイントが違うんじゃないか、という強い圧力や、
そこじゃない、大丈夫だ、という優しさを
繰り返し繰り返し感じてきた。

人の中に、その人にしかない質感を、見つけだすことに最大の喜びを感じるらしい人たち。
だから、その人のどうしても繰り返す失敗どころや、なかなか変わらないその欠点こそが、
ぎこちなくて、むしろ、最高においしいものとして、受け取られることがあるということ。

なにかがうまくできたり、できなかったりすることと、
その人が生きているということは、
全く関係がないことなんだ、というのを、
彼らは体で知っているように見える。

たとえば、私が、彼らのいう「質感」は、どういうものかとずっと考えてきて、
今言えるのは、こんなこと。

上野御徒町に、蓬莱屋というとんかつさんがある。
ここは映画監督の小津安二郎さんが愛したお店だ。
緊張するほど綺麗なお店で、出てきた器も美しくて、なんどもゆっくり火を通されたとても繊細なお肉で、おいしかった。
ある時、突然にわかった。
あ、これは、ほかのどこでも味わうことができないものだ、
すさまじくおいしい、
ということが。
おいしい、とはずっと思っていたけれど、
あるものが、心の中で唯一性を獲得すること、
それを、質感というのだと、
そのときはじめて理解した。

「質感」というのは、なににも分解できない。
有名な小津さんが愛したお店、どんな油をつかっている、どんなお肉をつかっている、
とどれだけ説明されてもダメだった。
繰り返し繰り返し自分の記憶に蓄えて、
ある日体が雷にうたれて、ピントが定まるみたいに、他にかわりが無いと知る、そんな体験のことだ。
自分でも繊細でおいしい、と思っていたのに、ある瞬間まで「特別」にならなかったのだ。
はっきりと自分の体験の中で、ある場所を占めること。
それは逆説的だけれど、どんな言葉も失ってしまう体験だった。

その「質感」が、この世の全てのものに、あるとしたら。
それこそが、学ぶべきものであるとしたら。
味わう、ということこそが、人生で一番大切なことだとしたら。

美術の人たちは、とても、優しい。

私には、その気付きは、自分の持っている言葉を全部見直さなければならなくなるような、体験だったのだ。

誰かが誰かであることを説明するのに、どんな言葉だったらぴったりなんだろう。
目の前にいる人、目の前にある作品、その「質感」を本当につかむことができるかどうか、
その「質感」にぴったりの言葉を探すこと、それが私のやりたいことになった。

だからここでは、美術の人たちに教えてもらった「質感」を大事にする生き方を、
言葉を通して、探っていきたい。

そんな気持ちで、はじめます。


(*上記は2015年11月にある企画のために書いた文章です。それがなくなったので、いまさらですが、ここにアップしてしまいました。)

Friday, 5 August 2016

竿燈祭り残像

七月末ルノワール展で、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』の前に立っていたら、
小学生くらいの女の子が列の一番前にさっと入ってきてiPhoneを構えた。
あれ?写真撮って良かったんだっけ、と思った瞬間、
彼女はフリック入力で猛烈に文章を書きだした。
そしてまた顔を上げて絵を見ては、また目を落としてフリック入力をする。
この子、心に浮かんだこと、消えないうちにこの場で書き付けてる!
文章でやるスケッチだ・・・。

とってもいいなあ、、と思った。それで8月3日秋田の竿燈祭りでやってみた。


竿燈の下にどんどん竹がつぎたされていってどんどんどんどんたかくなるんです。
どっこいしょー、どっこいしょー、ってかけごえで、永遠にかかげていくんです。
下でささえるひとはひとりだけ。
50キロもある、ろうそく入りの提灯がたくさん付いた竿燈だから、
人が竿燈をコントロールすると言うより、竿燈に人が着いていかなきゃいけない。
一番上の提灯から目だけは絶対にそらさないようにすることでバランスを保つらしいです。
ささえきれなくなりそうになったらすぐ、まわりに人がスタンバイしていて受け渡します。
どうしてそんなに簡単に渡せるのかわからないゆらゆらした高い高い棒なんです。
つまり下の人間はくるくる入れ替わり、うえは稲穂のように高く高くのびてゆれているんです。
ときにその火のどっさり付いた提灯の穂がたおれてくるんです。
人間は、優雅なあひるの水面下の足の動きみたいです。
でも、最後の合図がなるまで入れ替わり、立ち替わり、倒れては起こして、何度でも掲げつづけます。
しなやかにのびる竿燈を支えるには、自然にへんてこな姿勢になります。
むしろ人間はそのへんてこにこそ超絶挑むんです。
おでこだけで支えたり、
ぷりっとおしりを突き出して、腰一点で支えたり、
全く信じられません。
まるで空でも持ち上げるように両腕の関節という関節を90度に曲げて、その体勢はまるでひょっとこです。
だけどその腰一点で支えられられる男の人は、最高にカッコいいのです。
どっこいしょー、どっこいしょ、どっこいしょー、どっこいしょ、永遠に回り続ける人間が、永遠に優雅に伸びた竿燈を支えていました。

資料館で見せて頂いた技。右の鉢巻きのおじさんまで入れ替わる。




























女の人はお囃子によって竿燈を導く

秋田竿燈祭り2016年8月3日




Monday, 25 April 2016

私が見る世界がある

朝6時くらい、布団の中で目が開けられないまま、
先生のラインブログに上がっていたこの映像をかけていた。
でも、塩谷さんが「神は認識した瞬間に作っちゃう」と言ったとき、
ばっちり覚醒したのだった。

最近、映画をみても、どこへ行っても、本を読んでも、かならずそれを文章にするのだ、
少なくとも感想を言うのだ、という気持ちで見るようにしているのだが、
それだけで見方が変わってきた気がしている。

だからなのか、この言葉を聞いた瞬間に、
作ると見るが一体の脳の状態は確かにあるんだろう、と想像した。

作ると決めた瞬間に
世界から何を拾えるのか
試される。
人間である私にとっては、
ようやく脳の総力戦になってきた。

「わたしが見る」と
「世界がある」が
ようやく関係してきた感じがしています。

軽く軽く軽くなりたいです。

Saturday, 16 April 2016

第二言語は赤ちゃんの雲

母語以外の言語を習得するというのは、
大人になってやってきた、赤ちゃんの雲を意識的に体験するチャンスなのだなあ、と思う。

中学校から大学までコンスタントに英語の授業を受けてきて、
ホームステイの経験もあるのに、
聴き取りが難しかったり、話せなかったり、長い長い苦しみの期間が続いた。

大学院を卒業した後、心の哲学のデイビッド・チャーマズさんのところへ行きたくて、
三ヶ月留学したのはいいけれど、
英語の哲学の世界は地獄だった。

ディビッドと、私の重要なコミュニケーションの一つは、
「今日のトークは何パーセントわかったか?」
20、とか、30、とか一言で終わるコミュニケーション。
デイビッドはその報告を本当に楽しそうに聞いてくれた。

もう三ヶ月たつというある日、
私は50、と報告した。
「みんな、あやこが50だって!!!!すっげー。三ヶ月で本当にあやこは上手くなったよね」
と大騒ぎ。

(ディビッドは、少なくとも、私については、
「その人」の中で一生懸命努力していれば良い、というポリシーをつらぬき、
「その人」と一緒に喜べることを大切にしてくれる人だった。
哲学が出来なければ来るなとか、英語が出来なければ来るなとか言う人ではなかった。)

だけどその時私は、確かに前より聞き取れた気はしていたのだけれども、
話し手が掲げた問題のstatementがあるとして、
それを正しいと言っているのか、間違っていると結論づけたのか、
そこがうやむやで、
つまりは、哲学的議論としては、さっぱりわかっていないと同じ事で、
W. Schultzの言っていた、50%は一番uncertaintyが高い、
ということを実感していたのである。

その三ヶ月、英語をどっさり浴びていても拾えることは少なくて、
例えばnotが聞き取れなくて正反対の答えをしては落ちこみ、
まさに雲の中で、全然世界が見えないような感じで、
最後の日々の「50%」の時間は、そのもやがもっと激しく感じられただけだった。

そんな私がまた何年もの時間が経って、
茂木さんとのお仕事で『頭は本の読み方で磨かれる』という本を作らせて頂いたとき。
茂木さんが驚くべきことを言った。
「本の中に書いてあることの全部がわからなければならないという気持ちで読むのは間違いだ。」
難しそうな本でも、スキミングをして拾える分だけ拾えばいい。
全部はわからなくても、雰囲気だけはつかんでいるものだ。
それに、全部がわかった、と思った本だって、
読み返してみればまた新しい発見があるものである。
本も自分も成長するものなのであって、「全部わかる」なんてことはないんだ。と。

私は英語の本を、全部わからなくても、最後まで一冊をめくり通す、ということを始めて、
毎日一章読むことを習慣にした。拾える分だけ拾って。
一月に平均二冊くらいは読める計算だ。それで二年が過ぎた。

「人の話を全部わかることなんてない」ということが当たり前になってきて、
ようやく36歳の今、もやが晴れてきた。
知らない単語が少々混じっていても、雰囲気をつかむ能力が長けてきているから、
全然それが邪魔にならないで物語をたどっていくことができる。
書く人が違えば全然違う味がする。

あーあ、長いことかかったなあ。。。
赤ちゃんはたった二年ほどで、言葉を話し始めるけれど、
その間の雲のかかった時間を、大人は忘れてしまうどころか、
大人になったからこそ、意識的に経験できるものなのだなあ。


Thursday, 14 April 2016

高橋由一館

朝八時半のオープンに合わせて、丸亀のホテルを出た。
琴平駅に降りると、平日ということもあって人はまばら。
桜が満開の、真っ白な傘の下、飴売りの女性たちが支度を始めていた。
既に支度を終えた一人の人が、「これ食べていってください、楽に上がれますよ-。」
と黄金に透き通った飴を一カケ下さった。
砂糖です!という味が口に甘ーくひろがるのかな、と思っていたら、
全然違って、どこまでも透明な味、遠くの方に柑橘の味、
天国にでも来たみたいだ。

お姉さんの言うとおり。楽々階段が上がれちゃう。
ああ、桜がこんなに咲いて、と顔をあげると、参道の左手、黒い馬が目に入る。
その横には、白い馬。
きゅっとこちらを緊張させる、異質な姿。

参道の右手は高橋由一館
藝大美術館にある由一の鮭がすごい、と美術のお友達から何度も聞いていた。
それでも私は一度も目にしたことがなかったのだけれども、
この金刀比羅宮には、由一の奉納した油絵が27点もあると知る。
行きに寄るべきか。帰りに寄るべきか。
この天国のような流れで歩いて行くのも良いけれど、
帰りは違う道になったらどうしよう?
行きに寄ることにした。

係の方はまだ、外の掃き掃除をしていらした。
薄暗い館の中で、たった一人、観せて頂く。
全部が由一さんの絵だ。

いくら有名だからと言って、わからないものはわからない、
ぶつぶつ独り言を言いながら、一点目の前に立つ。
二点目、三点目、ときて、桜の枝の入った桶の絵の前に来た、
何かが気になったけれど、とりあえず通り過ぎて、
有名なお豆腐の絵の前に来てしまう。
はー。わからない。

先を歩いて行くと、琴平の絵に目がとまる。
あれ、昨日宇多津を歩いていたとき、まさにこんな気持ちで宇夫階神社の山を眺めたんだった。
このあたりは本当にこうだよねえー、、平らなところをなんとなく途方に暮れながら歩いて、
神社の山が見えて、ほうっとあれかあ、と思うんだ。

一度そう思うと、次の絵次の絵と自分の目を重ねていくことが出来る。
そして桜の絵の前に戻ってきたとき、
これには人が描かれていないけれど、人がすぐに横に居るような絵なんだ。
だからすぐに自分がその桶を置いた人物のような気がしてしまうんだ。
途方に暮れる原っぱの向こうに山があって、私はそこに桜の枝を持ってきた。

なんのため?
誰かのお参り、じゃないのかなあ。
この原っぱへ。

私が自分の目を重ねることが出来るくらいだ。
由一さんは一体いくつの目を持っているのだろう。

由一館をでると、一人一人が目にとまる。
そして実際、色んな人に声をかけられる。
一人で来ている人には、シャッターを頼まれ、
また、下で出会うとさっきのお礼を言われる。
階段がきついから一番上まで行くだけで、
ねーちゃんのぼってきたんかあ!俺はここで留守番や、と褒められる。
物知りの人には、あれみときぃ、あそこに描かれている桜はぜんぶ金で描かれてるんやでぇ。
あれだけで、財産やぁ、と教えられる。
自分に見えているもののことを描きたくなる。人の顔を描きたくなる。
あの景色、この景色、
寄り道しては立ち止まって、なかなかまっすぐ進めない。

お遍路ってこういうことを言うのかなあ。
一番大事な目的に向かってまっしぐらに走るのではなくて、
お祈りなんかどこへやら、
いま見えるものをひろえるだけひろって、それで見えたものを次にやる、みたいな、
寄り道、寄り道、自分で拾ったもので道を作っていくような、
歩いた道が全部体に残っていくような、
歩くこと自体が楽しくなってくる道をいうのかなあ。

ああ、ここは、両親と一緒に来たかった。
だから家へ帰って、沖縄の硬い豆腐を見つけて、
お豆腐のステーキをつくってしまったんだ。





Wednesday, 13 April 2016

Aとnot A

音楽会から帰ってきたAに感想を尋ねると、
”前と同じ、上手じゃないの。”
二時間後夕食中に音楽会の話題になると、
”上手なのー。”
まったく困惑するが、
はたと気づいた。
両方本当なのかもしれない。
音楽会って一時間半くらいのもので、
その間には、上手な時間帯も、あまりな時間帯もあっただろう。
どこに目を付けるかで色々かわってくるし、
やっぱり自分の気分次第で、
言うことが変わるというのも本当なんだろう、とおもう。
なぜなら、例えばわたしも金刀比羅宮の高橋由一館を歩いているとき、
最初はよくわからなかったけど、
二回目ははっとしたり、
三回目はまたわからなくなったり
なんのせいだか、
定まらなかった。
一つに、一つの見方なんて、
ロジックを通せなんて、
生なからだとしては、
嘘なのかもしれない。

そういえば丸亀の猪熊源一郎美術館で、
猪熊さんが奥さんの顔を一つのキャンバスに何個も何個も描いているのを見た。
描いているうちに、妻の顔が現れるかもしれないと思って描いた、
というような事が書かれていた。
色んな、色んな顔が描かれていた。

Tuesday, 12 April 2016

言葉

ある意味で言葉は人間が生み出す物の中でもっとも圧縮率の高いものだと言える。
自分が見た物は、眼からLGNを経由して大脳新皮質の一番後ろ側に入り、
そこから、複数の経路を通って解析され、言語野に到達し、
我々は何を見たのか、言葉にすることが出来るようになる。

















私はこの間一人、金比羅さんに一日旅をしたのだが、
長い長い階段を上りながら、小学校の頃のように画板を持ってこの景色を写生したい気持ちにとらわれていた。
快晴の平日で、人はまばらで、櫻は満開。
櫻以外の木々の緑に、おおきな造りの、書院、拝殿、寄り道寄り道登っていく。
天国のような景色の中で、この全部を覚えていたいのに、
覚えていたいと思った瞬間からばらばらこぼれおちていく。

「こんなところだった、こんなによかった!」というのを帰ってから人に伝えるのに、
言葉が足りないという経験を誰もがしている。
自分が見た物に対して、とても粗くて、大体でしか言えない、という経験。

いずれにせよ、私たちの体をすみずみ通って、最後にまとめあげられるのが言葉だ。
それがあまりにも粗くて、曲がっちゃうから、
せめてこの景色を手でなぞることでもうちょっとだけわかりたい、というのが
写生したい気持ちだった。

言語は、頭の中だけで作られる物、というイメージは間違いだ。
Michael C. Corballisは、”the gestural origin of language”というのを唱えていて、
彼は言葉の起源はもの言わぬ体にあると言っている。

言葉というのは同じ言葉でも誰が言うかで意味が変わる物だし、
言葉と意味というのは一対一対応しているわけではない。
それに、言葉は今ここにないものまで指し示すことができるわけで、
言葉の重要な一つの性質は、一般性、抽象性だと彼は言う。

声を使ってコミュニケーションをとる猿たちを見てみると、
意外と、この鳴き声はヒョウが近くに居ることを表す合図、
この声は蛇、この声は鷲、という感じで、一対一体応になっていて、一般性に欠けるらしい。
より一般的なのは、彼らがつかう身体のジェスチャーの方で、
ある一つのポーズが、全然違う必要性や意図を表すことがあって、
文脈によって違う意味を帯びるし、
更には、鳴き声には数種類しかないけれども、ポーズにはたくさんの種類がある。
だから人間の言語に近いのは、彼らの言わば物言うコミュニケーションの方ではなくて、
静かな身体のコミュニケーションの方であり、
人間の赤ちゃんも、言葉でしゃべり出す前に、
指で何かを指し示す、という行為が始まるのであって、
言葉の起源は、身体にある、と彼は結論する。

そういう説を見ても、
やはり、手から、足から、内臓から、眼から、耳から、舌から、身体全部からの感覚と、
これまでに蓄えられた記憶とか全部言語野に届いて、
それが最後に圧縮されてある言葉にまとめられる、
という像が見えてきて、
けっして言葉は、頭と頭でやりとりされる便利な物なんかではない、という気がしてくる。
つまりは、
一つの言葉が何を指しているのか解凍するのには、
それを圧縮したのと同じ肉体がいるということにならないか。
誰かが発した言葉を本当に理解するのは、本当に大変で、
一人一人自分の身体が解凍できる分だけ理解しているのではないかなと思う。
誰かの言葉が自分の体でどんな味わいとして展開できるか。
自分の身体を全力で使って、自分なりにどういうことなのか理解しようとすることが大事なのだと思う。

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論文紹介を一つ。

この間見つけて面白かったのは、
という論文。

例えば誰かの顔を覚えるのには、写真を何度か見せられれば覚えることができるかもしれない。
そういう知覚に頼った方法なら簡単に覚えられるのに、
言語を介してしまうと覚えられなくなってしまうと言う。
写真を見せられて、どんな顔か言語で表現してもらう。その後、何枚かの写真を出して、
さっき見たのはどの顔でしたか、と聞くと間違うことが多いようなのだ。

目が二つ、鼻が一つ、口が一つ、は言えるけど、
本当に個性をつくっているもののことを言葉で表現しようとしたら大変だ。
言葉が足りないというものについて、言葉で表現しようとするときに起こる問題が
この論文では取り上げられている。

著者たちは、ワインの味について、
ワインを飲ませて、その味を言語で表現させる場合と、させない場合で
さっき飲んだワインは、これから飲んでもらう4つのワインのうちどれでしたか、と聞いて、
正答率が変わるかどうか、という実験を進める。
ここで面白いのは、(1)ワインを一度も飲んだことのない未経験者と、
(2)ワインはよく飲むけど言葉でそれを表現するということにトライしたことはあまりないという人たちと、
(3)ソムリエのように味の経験も、それを言葉にする経験も両方持っている人たちの
三グループに実験をやっていることだ。

結果はこうだった。
(3)のソムリエたちは、言葉で表現しようとしなかろうと、飲んだワインを当てることが出来た。
(1)の未経験者たちは、言語で表現したほうが、しない場合より、正答率が高かった。
(2)の中間経験者たちは、言語で表現しなければ当てることが出来たのに、言語で表現してしまうと、当てることが出来なくなってしまった。

つまりperceptionのexpertiseとlanguageのexpertiseの釣り合いが重要で、
(3)の、感覚も言葉もプロの人は別に良いのだが、
(2)の人たちは、ワインの味の経験は積んでいるけれども、それについて言語で表現する経験は積んでいない。そういう人たちは、へたに言語化すると、記憶がねじ曲がってしまう。言語なんか通さずに、味だけで勝負すれば、ちゃんと正答できたはずなのだ。
(1)の未経験者たちは、そもそもワインの味の経験が無いので、言葉で粗くでもとらえないと、そもそも区別の付けようがないらしい。

学校のオベンキョウのように、そもそも本の中に言語で書かれているものについては、それを覚えるのには言語でくり返し唱えればいいのだが、
実際の生活の中では、はるかに、言語で捉えられるものを超えた情報があって、そこに言語を下手に介在させてしまうと、学べなくなってしまう物があるということ。
そして、逆に、言語を介さずに学習できる物があるということ。そっちのほうが膨大だということ。

入ってくる知覚の氷山のトップが言語。
さてさて言語のexpertiseっていったいどうしたら上げられるのかな。


丸亀のうどんやさんのこと

4月5日、瀬戸内美術祭で鳩くんの作品がある沙弥島を訪ねて、
夕方宇多津の古街を歩き、丸亀のホテルに入る。
夜7時くらいの丸亀は、静か。
暗い飲食街の赤い明かりの下、おじさんが二人でなにやら言葉を交わしている。
いったり、きたり、
常連さんがすでにいっぱい入っていて、明るい小さな居酒屋さんは、
きっと美味しいのだろう、と思うのだけれども、
一人で入る勇気を出せず。
結局ホテルまでもどってきて、目の前にある物静かなうどんやさんに決めた。
チェーン店じゃないから少しはこの地のものがあるだろうし、
もしビールは飲めなくても、ホテルに帰ってのめばいいんだ。
自分なりに幸せを保つ計算をして、引き戸を開ける。

色黒いカウンターと、座敷席がひとつかふたつ。
カウンターの一番奥に、常連さんらしい壮年カップルが一組、お酒を飲んでいた。
おさけ、大丈夫みたい!と心の中でガッツポーズをして、
カウンターの一番手前、引き戸に一番近いところに座る。
生ビールをお願いした。

メニューには丸亀の街中でたくさん目にした「骨付鳥」の文字もある。
それはなにかと尋ね、あれですよ、と指されたポスターには、
クリスマスに昔食べた、銀紙を足に巻いた照り焼きの鳥の胸肉みたいなものが、
炭火で焼かれてどーんと写っていた。
これは一人では食べられない。
ササミの塩焼き、というおとなしそうなものにしておく。

奥の常連さんたちのうどんやトークが聞こえてくる。
○○チェーン店は高い、あれはありえない、てんぷらうどんがなんとか・・・
讃岐うどんの文法の判らない私はなんとなくどきどきしてしまう。
おなかがすごくすいていて、この後てんぷらうどん食べようと思っていたんだけど、
大丈夫かしら。

おじさんがトンっとササミの塩焼きを置いてくれる。
「これな、まだ赤いように思うかもしれないけれど、大丈夫だからな。
生みたいだけど、こうして食べるものだから。これがうまいからな。」

なんだか薄暗い飲み屋の明かりでまだどきどきしている私には
赤いも何も判定できなかったけれども、
そうかそうかと口に入れる。

やわらかくって、しおとうっすら柑橘系の酸味で、じゅうっと深い味がでる。
うんうん、こうして食べるものだね、おじさん、ほんとにおいしいよ、
とぱくぱくごくごく行きたい。

「どこから来たの?遠くからやろ」

「神奈川県です。」

「一人で?ここに」

「はい」

「仕事かい?」

「瀬戸内美術祭で沙弥島に来たんです。」

すると「それでかあー。」っと奥の常連さんも混じった会話になる。

「瀬戸内美術祭やて。あれなあ。期間限定とかで沙弥島とか色んな島でやってるんよな。
直島が一番有名なんよね。地元の人はあまりいったことないかもしれん。俺らが子供の時に沙弥島は陸続きになったんよなあ。」

「今ちょうどこんぴら歌舞伎でしょ。役者さんたちも昨日ぐらいからこっち来てるのよね。
なんだっけ、あの人、あれあれ、あの人、だめだぜんぜん思い出せない、好きだったのに。」

「丸亀城は見た?ちっちゃいの。見たら、ちっちゃ!って絶対言うわ。プラモデルみたいやもん」
「失礼だけど、あのホテルいくらぐらいするんかな?ずっと不思議だったんだ。
でも、それやったらまだいいね。美術祭のために一泊で来たんかー。あ、でも電車か。そっちは高かったやろー。。。」

不慣れな人を気を遣って、声をかけてくれて、あったかい場を作ろうとしてくれる。

ささみを食べ終わる頃、がらっとほかの常連さんが一人で入ってきて、カウンターの真ん中に座る。
「お酒とうどんねー」
これを機会にわたしも、てんぷらうどんをたのんでみた。
自然ともとの奥の二人は二人の会話、おじさんはてんぷらをあげる、私は私の時間となって、場がおちついていく。

じゅうううっという時間が流れて目の前に出てきたのは、
おっきなエビ一本ののったおうどん。
おもしろいなあ、てんぷらっていうのはえびのことだけを指すのだなあ。

関東の私には、つゆは少しうすく感じもするのだけれども、
てんぷらもおいしいし、おうどんはやっぱりおいしいな。
もくもくと食べる。

ふと顔を上げるころ、
おじさんはもう一人後からはいってきた常連さんのおうどんをつくっている。
水につけて。。
目が合うと、おじさんがにっと笑った。
「しょうゆのうどんたべたことないやろ」
「まってろ」
「これがほんとうのこっちのうどんやからな」

とん、っとだされたのは、たっくさんの小口ネギにおしょうゆがたらっとかけられたおうどん。
「たべてみい」

遠慮なく頂いた。うすい、と感じていたさっきまでのおうどんがうそみたい。
やっぱりどこか遠くで酸味があって、芯の温かいなめらかなおうどんがぴったりの塩分でずるりとはいってきて、
とめられない。
「うそみたい、びっくりです!」
というと、「びっくりしたやろう」とおじさんがニヤリと笑った。
そうか、こっちのおうどんは、おうどんがおいしいから、つゆはやっぱりいらないんだ!
おしょうゆとねぎだけでこんなに成立しちゃうんだ!!!!!!!!
お醤油もネギも、お皿にわずかに残っているのさえもったいなくて頂いてしまう。

一晩でうどんを二杯食べたら、
15キロ近く歩き回ってくたくただったのに、すっかり顔に血が通って元気になってしまった。
それで、ごちそうさまでした、というと、しょうゆうどんが全然含まれていないから、
どうか、こちらも、というと、
「うどんおいしかったやろう。この店のこと覚えておいてくれな」とおじさんがいった。

いつ来るか、また来られるか、わからないような人に、「覚えておいて」。
とっても大切なことに思われて、
できるだけ力を込めて「はい」といった。

小学校の頃、父方のおじいちゃんが亡くなったときのことを思い出してしまった。
まだ小さかった私はおじいちゃんの亡くなる晩、母方のおばあちゃんと家でお留守番をしていた。朝目が覚めて、自分の部屋から階段を降りて居間に向かうと、
おじいちゃんの病院の荷物が廊下に置いてあった。
「おじいちゃん、かえってきたの!」と大声を上げると
ママが居間から出てきて「おじいちゃん、死んじゃったんだよ」と真っ赤な目で言った。

大泣きしている最中に、わたしが一番気にしていたことは、
おじいちゃんの最後に、私だけ居なくて、そのとき、おじいちゃんはわたしのことを思い出していたか、ということだった。

亡くなってしまえば覚えているもなにもないのだが、
私がいるということを覚えておいて欲しい、とあんなに強く泣いた気持ちで、
うどんの味の残る舌に意識を集中させて、
できるだけ強く、「はい」といった。