Saturday 20 June 2015

暗い冬のお話:フィンランド日記3

つかの間の夏をほんとうに喜んでいる感じがして、
だからこんなに楽しんでいるのかな、
こんなに祝祭的ムードなのかな、と思ってしまうけど、
冬はみんなどうしているんだろう?

12月末に行ったアラスカのことを思い出すと、ちょうど正反対で、
朝の10時50分くらいに日が昇り、午後3時50分くらいには日が暮れたような気がする。
宇宙飛行士のような格好をして、軍隊の冬用のゴム靴を履いて、
外にやっと30分とかまとまった時間、出ていることができる、
というような感じで、
街を歩く人を滅多に見かけなかった。

フィンランドでもやっぱりそうだろうか。
暗い、暗い冬、
どこかでやっぱり楽しそうに過ごしているような気がする。

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学会が終わった後、どこに行ったかと言えば、森に行ったのだった。
ガイドブックの中、ヘルシンキ近郊で、緑一色に塗りつぶされて何も書いていない島があった。
セウラサーリ島。
森というと、私はどうしても、亜熱帯の森というのを想像してしまうけど、
北の森はやっぱりそういうのとは違うのだった。

ここのところずっと悩んでいることがあって
学会も終わって、そういう考えなければならない問題に森の中で直面したのだけど、
やっぱり、あの研究の言う通り、と思う。
(Folkman, S. & Moskowitz, JT. (2000) Stress, Positive emotion, and Coping. Curr Dir Psychol Sci 9. 115-118)
挫折とか大きな嘆きからの回復力、というのは、
その出来事に対する感情の複雑さに起因する、というやつ。
ある出来事に関して、人間が持つ感情というのは、一個じゃない。
どんなに悲しい出来事でも、その中には良い思い出もあったり、楽しい記憶もあったり、
あるいは自分のユーモアによって、あるいは別のことをやったり、誰かに助けてもらったりして、
問題の真の解決にはならないとしても、どれくらいいろいろな感情を混ぜることが出来るか、ということで、その後の回復の早さが違うらしい。
やっぱり、人生の中には、コントロールできない悲しいことが起きるから、
それと同じくらいに、別のところで、楽しいこと、素敵なことを持てば良い。
自分からも、嫌な変なものがたくさん出てくるから、それと同じくらいに、楽しい部分を持てば良い。
この問題を考えるのが、この森の中でよかったな、、と思った。

森にはきっといろいろな動物がいて、恐ろしい動物もいるし、
冬の闇に包まれたら、きっと怖くて一歩も進めないけれど、
北の優しい光が差し込んで、色んな鳥の声がして、小さな花があちらこちらで揺れる今の時期には、
いつまでも歩き続けることが出来る。

私がオスカー・ワイルドの本を読んで学んだことは、
「困った人は、責めるべきじゃなくて、助けるべきである」ということなのだけど、
それはほんとうに難しいことだな、、
と、鳥の声を聞きながら、気楽に歩いていた。

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