Monday 22 December 2014

Pesta Boneka(1)はじめてのSpoken Poetry

12月3日から、12月12日までインドネシアに行ってきた。
ジョグジャカルタで行われるPesta Boneka 4(International Biennale Puppet Festival 4)
に参加するためだった。

三日間にわたる人形劇の祝祭。
連日お昼過ぎからゆるゆると始まって、
夜10時半くらいまで各国のパフォーマンスがつづく。
すごかったのは、最終日。
各国でクッキング大会をやると聞いていて、
私たち日本のグループとしては
代表の奏さんのアイディアで、お寿司と日本茶を振る舞うことにして、
巻きすや、すしのこを日本から持って行ったのはいいのだけれど、
会場へと朝主催者が宿泊場所に車で迎えに来てくれて、連れて行かれたのは、
Kepekという村だった。

ジョグジャカルタ市から、30分ほど走っただろうか、
景色が田んぼに変わっていって、道も細くなったと思ったら、
大きな藁や布でできた人形が道案内にたち、空を飛び、
ひゅんひゅん目を回すうちに村に着いた。

劇場、ギャラリー、ホテル、そんな場所を何十分も離れて、
普通の村人が暮らす、大きな村。
今回の祝祭のために藁で飾り付けられたゲートをくぐる。





















pesta bonekaに参加している団体だけの国際交流みたいなクッキング大会を想像していたら、
むしろメインは村人の方で、
pesta bonekaの参加者は少数派。
これまでは英語も通じたけれど、英語どころか、インドネシア語の「ありがとう」すら
ジョグジャカルタとは違うという。
お互いに不思議そうな顔をしてしまうけど、
おじきをして”slamat pagi(おはようございます)"と言ってみると
とたんにおばあさんの笑顔が返ってきた。

村の人たちは、洗い物をするのに、井戸の水をくみ上げていた。
これはものすごいことになった、と思った。
「祝祭」という言葉の意味がはじめてわかるような時間になっていった。

前日までの各国のショーだって、端的に言って素晴らしかった。
人形劇は箱の中の小さな世界のものじゃない。
人間が人形を体に纏って、人形の顔と人間の顔とが糸でつながり、暗闇の中、
別の人間と恋をしていた。
あるいは、人形は、人間の手に抱かれ、人間の顔と顔をすりあわせて、母と子になった。
私が今までに持っていた「人形」という概念はめちゃくちゃに崩れて、
正直に言って、人形って何なのかわからない、と愕然として、
西山君としばらく無言でコーヒーを飲んだ。
人間と人形とが堂々と共存する、(黒子として人間が存在するのではない不思議な共存)そんなものを初めて見たのだった。
人間役として存在している人の、顔の豊かさに改めて驚いたことは確かだ。
私はどちらかというと人形によって、人間にびっくりしてしまったのかもしれない。

そこには物語いらずの存在があった。
ストーリーはシンプル。
たとえば母と子が愛情で結ばれているという物語。
もし複雑な物語があっても、私はそれを忘れてしまうだろう。

そんな人形を見せつけられる中、
私たちは、「人形とは何か」「物語とは何か」ということを科学者として問う、
そんなセッションをやることにしていた。

西山君と、自分たちのセッションを前にして、
「帰りたくなったね。とてもできないね」と笑った。

だけどやるしかないのであって、自分たちが希望して参加したのであった。

私がやろうと決めていたのは、
Spoken word poetryと呼ばれるものだった。
私のあこがれの人はSarah Kay。それからMalalaちゃんの演説。
まっすぐに思うことを口にして人に伝わる表現。

自分でいま信じることを人に伝わる形で表現すること。
私はいままで、科学の分野としても自分自身としても、
例えば「化粧」とか、「物語」とか、
そのままの自分とは違う存在についてずっと興味を持ってきた。
だから、人形劇の祝祭で、自分の興味がマッチしないことはない、と考えていた。

それから、私は、授業の経験や、池田塾での発表などで、
文章で書いたものを、口で言おうとすると、
言えることが変わることを知っていて、
文章ではつながっているように見えるロジックも、
口にするとまったくつながらなかったり、そもそも口に出せなかったり
そういうことが起こることを知っていて、
だから、口でしかいえない、私の身体全てを通した表現というもので勝負がしてみたい、
と思ってきた。
ちゃんとやったら、それは単なる科学的な文章ではなく、
科学の内容は中に入ってはいるけれども、一つの物語になるはずだ、と願って、
Spoken word poetryをやる、と宣言した。

やっぱり私が話すときには、科学ということから話をすることになる。
だけど、分野を問わず聞きに来てくれた人にとって、
「自分にとって関わりの無い話に聞こえるか」
そこは私の勝負だった。

私は、自分の科学の人生の始まりに、
それまでに思ってきた科学というものの思い込み全てを壊す体験をしていた。
三人の先生に同時に出会うことができたことによって。
科学は、自分の人生と全く離れていないということ、
それから、
いままで考えることをあきらめてきた全てのことを、
そういうことこそ考えるべきなのだと教えてもらった。
自分が生きるということと科学はおんなじだと知ったのだから、
私の科学も、みんなにとって関係のある話であってほしい。

でもそんなことはともかく
色んな人がのびのびと、楽しく作品を作っている。
その一つとして、私も存在できたら何よりも嬉しい。
チャンスをいただけて、一番やりたいことをやってみた、
はじめてのspoken poetry。
その映像をここにアップします。
大変つたない英語ですが、どうかみなさまの人生の7分間を耐えていただいて、
最後まで聞いてくださると幸いです。




友人の植田工くんが英語字幕をつけた編集をしてくださいました。
もしつたない英語とノイズで聞き取りにくい場合、英語字幕をオンにしてくださると嬉しいです。

(村の話へつづく)





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