マンデラさんの追悼式典でのオバマさんの手話の通訳を担当した人が
偽物だったというニュースはずっと心に残っている。
厳しい審査があったはずで、絶対にミスはありえない、という場所に限って、
そういうことが起こる。
その人の手話は、本当にダンスのようで素晴らしかった。
こういうことがあると、自分が小さな時のことを思い出す。
例えば通訳になりたいな、と思ったことがあったこと。
でも実際は、自分は英語の特別な訓練や、通訳の訓練を全く受けることなく、
科学の分野で英語のトレーニングをして、
その縁で、たまたま翻訳の仕事をさせていただいたこと。
これだってあの手話の人とおんなじと言ったらおんなじだと思う。
(手話の人のダンス自体が素晴らしいというところには私はたどり着けていないのだけど。)
世界にはそういうことが起こりうるということは私にとっては単純に希望なのである。
今回のPesta Bonekaだっておんなじだ。
通常の人形劇団体だったら、Pesta Bonekaへの参加はどのくらい難しかっただろう。
今回は奇跡のような出会いと努力が重なって、なぜか私も人形劇の場所に立たせてもらった。
いつだって、どうして自分がここにいるかわからない、という感じがする。
あんまりにも不安で、前日かなでさんに自分の内容を確認してもらおうと思ったら
彼女も忙しくて喧嘩になった。
でもかなでさんは、多分、全て自分で決めて最後までやるってことを、
私にやって欲しかったんだろうと思う。
許可なんかとらなくていいからやってごらん、っていうことだったんだと思う。
そして実際そうできたことに、私は今とっても感謝している。
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私はリースという人に、私のやることを見て欲しかった。
前回インドネシアに行ったとき、かなでさんはアーティストとしてリースの施設で滞在して、
私はかなでさんの友人として一週間ちかくお邪魔した。
そのとき私はただの友人で科学者で、リースにとってはあまり接点のない人物として存在した。
それでもかなでさんと一緒に常にお世話してもらえて本当に感動したのだけれど。
印象的だったのは、かなでさんと一緒にあるアーティストの家を見せてもらいに行った時。
あまりにも素敵な家だったので感動していて、
その家でもやはりアーティストを滞在させているという話になったとき、
「あなたもここに滞在したいなら、まずアーティストになることね」
といわれた。
当たり前の発言なのに、ずきりと傷つく自分がいた。
どうしてアーティストじゃなきゃいけないの?
でも、確かに私はリースに自分のことを話すという努力をしなくて、
話したところでどうしたってリースの描く人とは違うのだろうけど、
なんだか幽霊のような存在として1週間過ごしてしまったことをずっと後悔していた。
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秋に名古屋で授業をやっていたとき、
やっぱりそこでも、私はその大学の教師ではなく、
その授業のためだけにその日やってきた人間なのだけれども、
1時間半まとめて一つの話をしたら、
なんとなく「誰だかわからない」というみんなの間の緊張がとけるんだ、
ということを実感した。
言わなければなんだかわからないのは当然だし、
言って、もう隅から隅までわかる親友、みたいになるわけじゃなくても、
ただまとめて話すだけで、
「あ、なんとなくそーゆーひとね」と
人と人との緊張がとけるということ。
わたしはもう、幽霊のように存在するのはいやだ。
その場になにか作りたい。
自分にそんな変化が起こった秋だった。
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リースは、実際に、私がspoken poetryをやっている間、すっぱいような顔をして、
ずーっとずーっと見ていてくれた(写真を見せてもらったところによると)。
その後やっぱりそのことについて話すということはできなかったけれど、
それは一つとっても嬉しいことだった。
Monday, 22 December 2014
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