Saturday 7 June 2014

遺跡と廃墟(Water castle)


あるデザイナーの若い夫婦?のおうちでお茶をごちそうになっているときに、
リースがこんなことをいった。
「あなたたちの家にくると、毎回驚かされるわ。毎回、新しい物ができていて、
それが超絶すてきなんだもの。
あなたたちのようなのを、アートの中で暮らしている、っていうのね。
アートと、生活とにまったく隔たりがなくて、
アートをやります、って力んでないの。」

この人達のおうちは、まるで、原生林の中のお家のようで、
家の中に木を生やし、気持ちの良い風を通わしている。
その二階にあたらしくベランダを増築したようで、
そこで、日没という最高の時間帯に、
こだわりのお茶を出してもらったのだった。
私は、この人達のように、家を設計したり、庭を造ったり、
こだわりのお茶を作ったり、ということはもしかしたらできないかもしれないけれど、
言葉の精度、ということで、
「作品と、生活とが離れていない」「生活の中にアートがある」暮らしができたらいいな、と思った。

色んな人が、気持ちよく存在できるようにすること。
自分も、一つの場所を作っている、構成要素であるということ。
ーーーーー

4日目は、寝不足と、疲れが溜まっていて、朝はゆっくりとすごすことにした。
それで、なおかつ、スパとかいっちゃう?みたいな感じで、
3時間コースとかいうのに挑戦した。
(私は、スパは、沖縄での兄の結婚式の前の日に、宿泊したホテルで調子に乗って、
30分ほどやってもらったのが初めてで、これは人生二回目のスパなのだった。)
インドネシア語しか通じないので、
担当のお姉さんは途中で私達と話すことをあきらめてしまったようで、
無言でどんどん行われていくのだが、
ある瞬間に、パカっとまぶしいライトをあてられたと思ったら、
強烈な痛みが鼻に走って、なんだなんだ、なんなんだ!!と叫びそうになって、
だけど、これって、スパに慣れた人には当たり前のことなのかも知れず、
手をぎゅっと握りしめて耐えに耐えた。
どうも、ひとつひとつの毛穴から金属のピンセットのような物でなにかをとりだしているようで、おそろしい、
シンジラレナイ時間帯を過ごしたのだった。

全てが終わって、かなでさんに合流したら、
「あれ、痛かったねーーーー!!!!私、涙流しちゃったよ」
というのだった。
やっぱり、フツウじゃないらしい。
「インドネシア語でいいから、やる前せめて、一言いってほしかったよねーー。
ビックリしたねーー!」
「うん、介護とかではさ、なにかアクションする前、語りかけるのが鉄則です。」

体験を共有し、結束を強めて、私達は、スパを後にした。
しかし、全身がさっぱりしていて、
「お湯につからないお風呂に入った」という感じがまさにして、
スパってそういう意味だったのか、って気がした。
人にやってもらうのは、なんだかちょっと気後れするんだけれども、
なんとなく銭湯の帰りのような気分で、
すっかり夕方になって、涼しくなった帰り道を歩いていた。

そのうち、壊れた城壁のようなものが見えて来た。
「あ、これ、リースが登れるっていってたな。」
「登ろう、登ろう」

迷路のような小道を少し入ると、階段が見えて来た。
「water castle」という名前らしい。
王様が、女の人を囲っておく場所だった、みたいなことを、
客引きのおじさんが横で話してくる中を、
ありがとうと思いながら振り切る。

いつだって、実際に入って見ると、想像を超えることがあるんだな。
天井が崩れ落ちた廃墟、空が大きく割れていて、
大きな大きな窓だった場所には、風が吹き抜けて、
若者達が集う場所になっていた。
壁に腰掛け、本を読む人、
雑誌か何かに使うために、撮影をしている民族衣装の若者、
彼女にポーズをとらせて写真を撮る彼氏。
サッカーをする子供達。

遺跡、というには新しすぎる、廃墟。
「世界遺産にはなれないような場所でも、なんだかすごくいいところってあるね。」
とかなでさんがいった。

私達も、あまりにも気持ちがよいので、そこに腰掛け
気になっている作品や、自分たちの考えていることの話をした。
自分たちの地面の同じ高さに、民家のオレンジ色の屋根瓦が続いていて、
その下から凧がいくつもあがって、鳥のように飛んでいた。
私達は、やっぱり、ビールがあるといいな、と思った。




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