Friday 6 June 2014

インドネシア旅行記 前編

5月28日から、6月4日の、6泊8日で、インドネシアの古都ジョグジャカルタに行ってきた。
今回は、ジョグジャカルタのアーティスト・イン・レジデンスに入ったばかりの奏さんを訪ねて、
一緒に観光しようという目的だった。

そこでまず驚いたのは、ジョグジャカルタがものすごくアートが盛んで、
アーティストの街みたいな存在であったこと。
そして、そのアーティスト同士のつながりがものすごく密だということ。

アート・マネージメントをしているリースさんが、
奏さんを、色々な人に会わせていく感じがとても印象的だった。
ジョグジャにいるアーティストのおうちを尋ねて、お茶を出してもらって、
のんびり話して、帰って行く。

とくに、お互いにどんな作品を作っているか、とかいう話はしないで、
その人のおうちという空間の中で、もちろんそこにはその人の作った物があって、
その人の質感に囲まれながら、ただ、気持ち良く会話をする。
私も横にいさせて頂いて、
私はアーティストではなくて、サイエンティストなんだ、というと、
「neuroscientistなんて、本の中の存在だと思っていたわよ。これが実物!!」とか言って笑って、
あとは、
それぞれの人が、今どんなことを気持ちよく思っているか、
どんな気持ちでこの空間を過ごしているかということを、
非常にあたたかく思いやっている、という感じだった。

そもそも奏さんが、そのレジデンスに入ることになったのも、
書類を出して、どんな作品を作ってきたか、何をやりたいのか、で審査されて、
ということではなくて、
フィリピンに以前行っていたときに出会った人とのつながりを通して、
こんなところがあるよ、と紹介してもらって、
行ってみたいなと思ったら、相手も受け入れてくれた、ということらしかった。

「面白くなければ、素晴らしいことが出来なければ、ここに入ることは出来ない、それを証明しろ」
そういうような雰囲気はまったくないのだった。
私がこのインドネシアの旅全体を通して、感じたのは、
「人を理解するのには、ものすごく時間が掛かる」
という当たり前だけど、日本ではしばしば忘れられているかもしれない、大切なこと。
ゆっくり、つきあっていけばいい、そういう在り方だった。

Independentな人を応援する、という雰囲気が、リースさんにはあって、
「あなたが誰だか知らないけれども、安心して、好きな物を作りなさい。」
そんな風に迎えているように見えたのだった。
何でもお見通しの目で、この子にとって、今はどういう状況なんだろう、ということを見て、
できないことはできないし、できることはやってあげる、みたいな感じで、
アート・マネージメント、ってそういう意味なんだ、と思ったし、
その何でもお見通しの目と、懐の深さを、ものすごく感謝したい気持ちになったのだった。


ーーーーーー
私は、今年の二月にシンガポールに行って以来、
私の中にアジアを育てたいと思っていた。
対欧米、ということで、自分を卑屈に思うところがどうしても私にはあって、
日本の昔の神像のように、
もっと、おおらかに、もっとふっくらとした存在になりたい、と思っていた。
それで、奏さんがインドネシアに二ヶ月行くというので、
すこしだけ、時間を共有させてもらって、一緒に色々みたいと思ったのだった。

そして、観光、ということになると、私がどうしても見たいと思うのは、
遺跡や寺院なのだった。
それで、一つ、どうしても行きたいと思ったのは、ボロブドゥールという
8〜9世紀に存在した仏教の王朝の遺跡だった。

今は、ジョグジャカルタは、イスラム教の人が多く、それに次いで、
ヒンドゥー教、仏教という人達が多いようなのだけれども、
インドネシアってどういうところなんだろう、ということを思った時、
そのままの質感を受け取りたいと思いつつ、
どこかで、自分と似た質感を探し求めていて、
最初に、インドネシアと握手できるとしたら、ボロブドゥールなのかもしれないと思っていた。

それでも、他にもたくさん遺跡があるから、
行けるところは全部行ってみようということで、ボロブドゥールの前に、
プランバナンというヒンドゥー教の遺跡で、
やっぱり世界遺産になっているところを訪ねたり、
奏さんが地元の人に情報収集してくれて、
Candi Ijoや Candi Barongというところ(Candiというのは寺院という意味で、
その後ろに付いているのが名前である。)をまわったりした。
一つひとつが、ものすごく違っていて、
Ijo寺院は、どうも地元の人がおやつをもって、くつろぎに来たり、
日没を見にデートをしたりという場所になっているようで、
私達は不謹慎かも知れないけれど、ビールを持ってここで飲めたら最高だね、とこっそり話して、
Barong寺院は、なんとなく沖縄の首里城を思い出す雰囲気があって、素敵だった。
プランバナンは、ものすごく敷地がひろくて、その中にいくつもの寺院があった。
私が一番素敵だと思ったのは、もうほとんど崩れてしまっていた仏教の寺院で、
(プランバナンはヒンドゥー教の遺跡だけれども、ヒンドゥー教の中では、
仏教は、ヒンドゥー教の一部として組み込まれている。)
草の中に石が埋もれている、そこが蝶々の天国みたいになっているところだった。
とはいっても、どの寺院も石を組み合わせてできていて、
プランバナンのロロ・ジョングラン寺院という、とげとげと聳える寺院は圧倒的だった。

蝶々の寺院




























そんな風に巡っている内に、いつも見えている山があることに気がついた。
ムラピ山という火山らしかった。
富士山のような形をしていて、
日本人だったら、これを絶対に神様だと崇めるなあ、というくらい
はっきりとした形をしていた。

気がつけば、その山は私達の滞在先のベランダからも見えていて、
いつもその山を見ながら、そのベランダで朝ご飯を食べるのが日課になった。
朝ご飯は、おいしいパン屋さんでかったパンに、
バターを塗って、バナナや、林檎や、梨をのせたもの
(奏さんが毎日素晴らしい組み合わせを思いついて作ってくれるのだった)と、
リースの庭でとれるjambuという赤い果物。
シャリシャリと非常にかるく、果物というより野菜という感じで、
毎日食べても全然飽きなかった。
私は料理はへたくそなので、もっぱらコーヒーをいれることに徹した。
(粉を入れてお湯を入れるだけ。)

そんな風に巡ってきて、私がジョグジャカルタについて3日目に、ボロブドゥールに行くことになった。
ガイドブックやら、インターネットやらを見ていて、
ボロブドゥールの日の出を見たいな、と思っていたら、
リースが、それはツアーに入らないと見られないようになっているから、
タクシーを1日借りて、丘の上から、街を見下ろす形で、
ボロブドゥールに日が差すのを眺める方がいいんじゃない?といってくれて、
朝3時45分にお家の前にタクシーに迎えに来てもらって、ずんずんどこどこと、丘に連れて行ってもらった。

一時間くらい走っただろうか、
ここからは車は入れないから、歩いて行ってね、ということになって、
まだまだ真っ暗な細い山道を登っていった。
ひんやりしている。
細い道のところどころに、ランプを持って、照らしてくれる人達が立っていた。
大きな大きな葉っぱの背の低い木々。
山頂まで辿り着くと、遥か下の街がひろびろと見渡せて、
でもあつい霧が立ちこめていた。

だんだん明るくなってくるのとともに、霧もゆらゆらと姿を変えていくのだけれども、
一体どれがボロブドゥールなのか、どこに見えるのか、どんなサイズなのか、
皆目見当が付かない。
ぼーっと光の変化、霧の変化に身を任せていると、
隣で奏さんのはっと息を呑む音が聞こえた。
今まで全然見えていなかったのに、街をまたいだ地平線上に、おおきなおおきな山が姿を現した。
ムラピ山だと思った。
うわあ、すごいなあ、、
私達の足元の植物、この丘の稜線、そして遠ざかるに連れ、幾重にも重なる山の稜線、
そしてふもとの街、
それらを霧が手で覆ったり、顕したり、を繰り返し、
一番向こうにムラピ山。
そしてこのどこかに、ボロブドゥールがある。見えているのかいないのか。

そんなことをおもっていたら、
ムラピ山のすぐ隣に、突然、もう一つの山が、姿を現し始めたのだった。
ムラピ山とほぼ同じ高さ、だけど、もっと傾斜の緩い、太った、大きな大きな山。
ぎざぎざと、段々と登るような不思議な稜線をしていて、
私は、これがボロブドゥールでも構わない、と思った。

ガイドブックで見たボロブドゥールの写真は横に太って段々とした姿をしていたから、
それにとてもよく似ていると思ったのだった。
だけど、人間が作るには、確かにあまりにも大きすぎた。
多分、違うだろうと思った。3000メートルに近いと思われる山のような遺跡を、
作るのは無理だろう。
だけど、
町中で、一度も見かけなかった山が、いつも見ていたムラピ山のすぐ横に現れたのだから、
これがボロブドゥールだよ、と私が思うのは仕方がないような気がしたのだった。

この二つの山は、雄山と、雌山、のペアの神様だと思うのは当たり前みたいな感じで、
しかも、その二つの山の間から、太陽が姿を現したときには、
もうだめだ、と思った。

すっかり明るくなった後、
奏さんとふたりで、やっぱり、ボロブドゥールはあそこに見える、あれだよね、という話になったのだけど、
それは、やっぱり、街の中に埋まった山、みたいだった。

でも、それはともかく、ここにある山の形や、木々の形は、
私がそれまでにまわった遺跡の姿にとてもとてもよく似ていて、
土地というものと、人間が作るものと、
この場所で生きるということをほんのほんの少しだけ、感じられたような気がした。

ボロブドゥール(真ん中)


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