Wednesday 26 July 2023

死者と会える約束の場所があるらしく、そこで母と。

 朝、母の実家の方の大型ショッピングセンターまでランニングしよう、と思って家を出ていく。

うちから6キロくらい離れた母の生まれた町にさしかかると、しめ縄がはられていてこの日これから母の実家の氏神様のお祭りなのだと知った。

しめ縄沿いに走っていくと、そこからのどの脇道にもしめ縄がはられていて、町中に張り巡らされているようで、どっちに進めばいいのかわからなくなったが、とりあえず一番の大通りを進んでいくと、麦わら帽に浴衣すがたのおじさまたちが次々歩いて入っていく公民館のような場所があって、そこをのぞくとお神輿が見えた。

そこから母の家まではまだ2キロくらいあるはずで、母の家の地区のお神輿とは考えられなかった。祖母が昔この祭りの日はお料理を作って、家の前でお神輿をかつぐひとたちに振る舞うから忙しいんだと言っていたのを考え合わせてみても、いくつもの地区でお神輿を出しているらしい。

秋にある祭りでは花火もあがり、電車の吊革広告にも出るから人がたくさん集まり、私自身も何度かいったことがある。しかし、母の実家の氏神様のお祭りというのは、なんとなくその地区だけの人のもののように思い込んでいたから、今まで一度も行ったことがなかった。しかし、祖母も大事にしていたお祭りなわけで、ということは母の子供の頃の大事な一つの風景なんだし、祖母も母も亡くなった今、一度は見てみたいという気持ちになって、母の実家までそのまま走っていった。

現在母の弟が母の実家には暮らしているのであり、連絡もしないでたずねるのは迷惑かなと遠目に母の家を眺めてみると、その前の道路に、麦わら帽をかぶってこちらをみている人がいる。私と同じように、あれ、と立ち止まっている。その立ち姿はなんだか4年前に亡くなった祖父に似ている。祖父は私がいまからいくよと自分の家から電話するとかならず、つくくらいの時間に心配して、外に出て待っていてくれたのだった。似すぎている、あれは絶対、祖父の息子である母の弟(わたしはおじちゃまとよんでいる)だ。はからずも会えてしまった。父が最近、「おじちゃまはさびしいとおもうよ、両親もたったひとりの姉も死んでしまったんだから」とよく自分の寂しさを投影して涙をためて語るので、なんとなくおじちゃまのことは心配で、私も顔を見たい気持ちがあったのだった。

「まさか、おじちゃまが/おまえがここにいるなんて」と笑いあった。更に家から走ってきたんだというとおじちゃまは信じられないという顔をした。

お祭りのことをきくと、おじちゃまは俺が今年はこの地区の会長なんだ、と麦わら帽を指して言った。いまから近くのテントでみんなと合流するらしく家をでたところだったらしい。わたしが一度みてみたいと言うと、昨日から祭りはやっていて、今日のこの地区の神輿の出発は11時くらいで、昼間は各地区から4つのお神輿が出ていて、それぞれ町中をかついでまわっているけれども、夜がすごい、お神輿がある場所で夕方合流して、そこから1、2キロ上方にある神社まで3時間もかけて練り歩くんだ、と教えてくれた。

うちのお神輿は中でもおっきいんだよ、二トンもある。俺はもう年だからかつがないけれど、すごいんだよ、夜は特にすごいよ。

おじちゃまがこれだけ熱を持ってなにか語るのを聞いたのは初めてな気がした。こなければなるまい、せっかくだから浴衣で夕方にこよう、祖母に子供の頃着方を教えてもらったんだし、やっぱり一度は母が見たお神輿見に来よう。

17時頃お神輿の集合場所に到着する。出店もないから、きっと遠くから来る人はいないんだろう。その神社までの大通りに、近所の人々がゆっくり集まってくるのだった。車は完全通行止めで、神奈川県警が出て、歩行者天国にはなっているけれども、最初は、道端どこでも座りたい放題という感じだった。しかし、近所の人々だけで、かなりな数になるものだ。何万回と通ってきた、いつものどちらかというと人が離れていっている町が、日が落ちていくとともに、生命を帯びていく。いつもしまっていた木造の昔ながらの家が開け放たれ、そこに次々法被姿の人が出入りする。お正月にいつも神社でみかける神主さんもいる。

おじちゃまは4つといっていたけれども、今回は3つのお神輿だった。二トンのお神輿が大人たちによってすくっとかつぎあげられたと思うと、一つ一つの屋根に人が飛び乗って、今年は4年ぶりの開催だからがんばると拡声器は使わずに生の声を張り上げた。そしてさっと降りると、太鼓が鳴り響き、神輿はおしくらまんじゅうみたいな感じで大人たちが体をぶつけ合って沿道の家に突進していくではないか、わぁぶつかる!と思うところで急停止し、みんなグリコマークみたいに腕を精一杯に伸ばして「おりゃあ、おりゃあ、おりゃあ、おりゃあ」と掛け声を上げて高々とかつぎあげる。みんな顔が真っ赤だ。と思うと、肩までおろして今度は、逆の沿道の家に突進していく。神輿は道を斜めに右左、じぐざぐ突進していっては急停止、そして上へ上へと。神が家々を祝福して回っていく、みんなそのために自分の全力を注ぐ。自分よりも大きなものに挑んで、小さな個人が力を尽くす、秋田の竿灯祭、おわら風の盆、いままででかけていって感動してきた祭りの生命のようなものが、母の故郷にもあった。

お祭りの帰り、慣れない浴衣と下駄だからか、ものすごく疲れていた。8キロ朝に走って、祖父母の墓に行って母の亡くなった報告をして、そして帰って仕事をしてから浴衣に着がえて、神輿と一緒に歩いていって、やっぱり無理があったかな。夜の十時にストンと寝てしまった。

しかし、それから私はその夜、バスに乗って母と待ち合わせの場所に行ったのだった。ホテルのような真っ白い建物の玄関にバスがついた。私はバスを降りるや否や、母はどこかと探すと母が向こうで同じように私を探していた。母はあーちゃん!こっち!と本当に嬉しそうに顔をかがやかせた。私は駆け寄って抱きついた。やっぱり会えた!ともっと力を込めて抱きつこうとして、目が覚めた。朝の四時だった。母は若いのか、認知症になったあとか、子供の頃か、ぜんぜんわからない、タイムレスな母の顔で、本当に嬉しそうだった。

小さな頃、学校に行くときに家の鍵を忘れて出ていって、母が兄に必要なものの買い物で東京へ行って、私が塾で遅くなるから大丈夫なはずだと、ご飯も食べて夜遅くなって帰ってきたことがあって、私が駅の踏切で学校が終わってから何時間も母たちの帰りを待っていて、母が私を暗がりの中で見つけて、なんでこんなところに一人でいるんだと驚いて、その瞬間に母が泣いてしまったことがある。あのときも私は、やっぱりここで待っていれば必ず会えると思っていた!とただ得意だったなあ。

はじめてみた、母の実家の近くのお神輿


母とは2023年1月1日この神社に初詣に行った。この2日後母は肺炎を起こしてしまう。


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