Monday, 19 June 2023

母が行方不明になったときのこと。

 5月末に母が亡くなった今、母の夢ばかりを見る。思い出すことは全部書き留めておきたいという気持ちで、このことも書いておく。

 市役所のお悔やみコーナーでさまざまな手続きをしてもらった帰り道、ちょうどお昼時だったので、市役所の近場のサイゼリアに父と二人でよった。このサイゼリアは、母がまだ元気で長い距離の散歩ができたころ、父と母とが散歩のついでによくよっていたところだった。そしてこのサイゼリアには私たちにとって強烈な思い出があった。

 2018年秋に母はデイサービスに通い始めた。2015年の秋にアルツハイマー型認知症と診断されたので、ちょうど3年経った頃で、私たちは、介護に行き詰まりを感じていた。母の母らしさは変わらないということをしっかり掴んで、できないこと、できることを見極めながら暮らすことはできるようになっていたのだが、じわじわと母のできないことが増えていき、それを補うために私たちが費やさなければならない時間も増えていった。単純に量の問題で、自分の時間の確保がむずかしくなって、疲れを感じるようになっていた。それでどうしてもいらいらして、母にきつく当たってしまうので、家族だけではなくて、他の人の力も借りる必要があると判断して、母に介護認定を受けてもらい、デイサービスに通うようになったのだった。このデイサービスがこのサイゼリアの近くだった。このエリアには母が結婚前までずっとくらしていた実家があり、母にとって馴染みがある場所なので私と父はこのデイサービスがいいだろうと決めたのである。

 デイサービスに通うようになって一週間が経ったかどうかの頃だったと記憶している。母はこの場所がなんなのか、一体なぜ知らない人ばかりいる場所に自分がいなければならないのか、まだ理解ができなかったのだろう。みなさんの目が離れた隙に施設を抜け出してしまった。

 その日私は名古屋で授業をしていて、施設から電話があったときにとることができなかった。午前中だった。授業が終わって携帯を確認すると、父からラインが入っていた。「ママがいなくなった。施設を抜け出してしまったらしい。まだ見つからない。どうしよう」

 どうしようと言われても、私は名古屋だし、探しに出ることがどうやったってできない。しかもすでに一時間は経過していた。兄夫婦に警察に連絡を取ってもらって、父は母が帰ってきたときのために家にいるのが良いということになったそうだった。私はすぐに新幹線にのることしかできなかった。施設の人が車を出して探し回ってくださって、夕方になってある場所で見つかった。6時間位母は一人で歩いていたことになる。

 「ママ、どこにいたの?」「今日、大変だった?」

 帰って母の顔をみるやいなやたずねたが、母は「なにもないよ」と言うだけだった。真っ青な顔をしていることだけが、なにかがあったことを知らせていた。疲れたことだろう。

 「なんで出ていったの?」「デイサービスでなにかがあった?」「それともただ帰りたかっただけ?」母は理由を言葉で説明することはできなかった。「寒くなかった?」、「どこに寄ったの?」聞きたいことはたくさんあったが、母が正確に語ってくれることはなく、質問攻めにすればさらに疲れさせるだけだった。玄関では、施設の人が頭を下げに来たり、父はあちこちへお礼の電話したり、家の中はなんとなくいつもと違う気配であり、自分のせいだということは母はしっかり感じていたと思う。いつもより断然口数は少ないのだった。結局、「もう大丈夫だからね」「眠ろうね」と布団に入ってもらい、ただ真っ青な顔を見つめるしかなかった。

 見つかった場所は、母の実家と私たちが今暮らしている家のちょうど中間地点、車通りの多い大きな道だった。施設の人が見つけたときは、その中間地点を実家の方(すなわち施設のある方角)へ歩き出したところだったらしい。

 施設を抜け出し私たちの家へ帰ろうとして、紆余曲折して、(だって施設から家までは私の足では多分90分ほどのはずで、中間地点まで真っすぐ歩いて45分、母の足でもいくらなんでも6時間もかからない)、中間地点までたどりついたはいいけれど、そのまま進むには自信がなくなって、また元の方へ戻ろうとしたのだろうか。とにかくずっと、あっちにいこうか、こっちにいこうか、実家の方なのか、結婚してからの家の方なのか、どっちへいけばいいのか、迷っていたのだろう。結婚してからも、実家でピアノ教室を開いていたので、認知症になるまで、我が家と実家を母は頻繁に車で往復していたので、その道は非常に慣れた道である。その道沿いで見つかってくれたことは、本当にありがたいことだった。どっちが正解か分からなかったとしても「帰ろう」としたことだけは確かだったような気がするからだ。

 母の沈黙の6時間。一体どんな6時間だったのかと考えると、冷や汗が出てきてしまう。必死だったことだろう。いつも車だったのだし、あっちかな、こっちかなとたった一人で歩くことなんて初めてだっただろう。心細かっただろう。夜になっていたら秋だから寒くて大変だっただろう。問いただしたい。だけど問いただしたって聞けない。「本当にいてくれてよかった」それだけは伝える。

 そんなことがあった数日後のことだ。父は、母とまた一緒に散歩をして、デイサービス近くのサイゼリアに寄った。そこで店員さんにこう言われたらしい。「この間奥様一人でいらしていました。ずっと窓の外を見て座っていらっしゃいました。」

 いつも行っていたサイゼリアを見つけて、母はここだと入って、ずっと父を待っていたのだろう。ここにいれば父が来てくれるときっと信じていたはずである。何も注文せずに、何時間もいたらしい。デイサービスには金目のものを持っていくことは禁じられているし、母はお金を持っていなかった。注文する、ということをそもそも思いつかなかったかもしれない。よく、咎めずにいさせてくださった。このサイゼリアがなかったら、どうなっていたことだろう。何も注文しないで、席を占めていることで怒られていたら、早くしてくださいと急かされていたら、母はどうなっていただことだろう。人の優しさにこのときほど感謝したことはないかもしれない。そして母には聞けなかった消息を、店員さんが知らせてくださったことで、私たちはどれだけ救われただろう。

 母は何時間も父を待って、ついにあまりにもこないから仕方ない、自分で帰ろうと思って歩きだして、中間地点まで行ったのだ。なんだか母の、父に対する絶対的な信頼、本当に忠犬ハチ公のように誠実な、ひたむきさに、そうだったこの人はこういう人だったと、心打たれたのだった。こんな大冒険をして、やっと帰り着いて、真っ青な顔をして何も言わずにだまっていた母の姿をここに記しておく。

 

No comments: