Wednesday, 28 March 2007

ちんどんやさん

五反田を歩いていたら、ちんどんやさんに遭遇。
マーメイドというパチンコ屋さんの看板を背負っているからびっくりした。
ちんどんやさんって、ひょっとして何かの宣伝をするための職業だったの?
私は、音楽をならして、funnyな格好をして、ただ歩く、という職業だとずっと思ってた。
小学生の頃から、ちんどんやさんは、自ら見せ物になることを選んだ、壮絶な人生というか、
どこか非日常的な空気のある、ただならぬ魅力を感じさせる職業だと思っていたので、
びっくり。

狭い路地だったんだけど、彼らがゆっくり歩くから、なんか追いついてしまって、
どうしよう、彼らの方をみていいのかな、とどきどきしていたら、
先頭の人が、コンニチハー、マーメイドでーす、といって話しかけてくれ、
私がすこしだけ!ほっとして(そしてびくびくと)そっちをみると、
私の目を見て、ニャー、といった。
猫ちゃんのメイクで、ニャーといった。
たまらなくおかしくなって、笑ったら、
アーウケタ、ウケラレタ、ハハハー
と3人のちんどんやさんは笑った。
あの人間笑ったよー、みたいな、どっちが見せ物かよくわからなくなってきて、
やっぱり、なんだか、どこか猫ちゃんの惑星の人たちみたいで、素敵だった。

受胎告知

今上野の国立博物館で公開してる
ダヴィンチの受胎告知
で私はなんだか、
こういうことを感じていたのかもしれないな、と思った。
でもまだよくわからないんだけど・・・

私にとっては、
天使の方がマリア様よりもずっと重みがあるように感じられた。
そう思ってみていると、ふと、マリア様の手元の旧約聖書に目がいった。
あれ。これから読むページが透明の紙の上に文字が書いてあるようになってる。
あれ。すでに読んだページは重厚感があって描かれてる。
なんか、このことが変に頭に残ってた。

数日たって、今お風呂に入りながら、ぼけーーーっとしてたらふと思った。
ああ、この時のダヴィンチにとっては仮想の方がリアルだったんじゃないかな、
生きてる人間の、すなわち自分の、不確かさを持ってたんじゃないかな。
私の、植物や、蝶々や、岩のほうが自分よりずっと確かに感じて、
この世のものと思えない痛みと祝福を感じた斎場ウタキでの体験みたいに、
死に希望を見た人なんじゃないかな。
(っていうか私、あの一瞬死に希望見てたんだ!?恐ろしいよ、斎場ウタキ...)
それは、死んだら楽とか早く死にたいとかいう意味じゃなくって、
むしろ生命力とよぶべきものじゃないかな。
ほんとうのリアリティを感じていた人なんじゃないかな。
それから、あの絵は、人間が死に出会った瞬間の絵なんじゃないかって。

そういう風に思ったら、google上でしかみたことないけど、
ブノワの聖母とか、モナリザとかがすごい怖い(畏怖の意味)気がしてきて。

私今まで、ダヴィンチってなんか、どうなんだろ、と警戒気味だったけど、
受胎告知は、上に書いた私が今感じてることが馬鹿らしくなるくらい
ただ、素晴らしかったです。すごいです。

Tuesday, 27 March 2007

春の疑問集

卒業式の昨日、桜がふわふわ開花してて、少ないけれど、美しかった。
修士卒業の子たちと一緒に渋谷にいって大久保さんとの思い出のタイ料理でランチ&プチ打ち上げして、
CSLにいってベルグソンの「道徳と宗教の二つの源泉Ⅱ」を少しよんだ。
その中の”偶然”という章の中で、
岩の破片が落っこちてきて、人に当たって、その人が亡くなった。
前から岩に割れ目が入ってて、強風によって破片が落ちて、その人の頭蓋を潰した。
そういう物理的原因が確定されたとしても、一人の人間が亡くなった、という我々にとって重要なこの一事の説明はなされていない。
だから原始の人は神秘の原因(死者の霊とか妖術とか)によるものだと考える。
原因は、結果に釣り合っていなくてはならないというごく自然の考えに従って。
という感じのことが書いてある。
すばらしいな、ベルクソン。
どうして私は、これを大事と思うんだろう。

なんか私、すごく、ぼんやりしているきがする。
やりたいこと、とか言われてもよくわからないし、
そういうこと思うとなんか自分に嘘ついてる気がする。
なんかもっと外部を取り入れる必要性は感じてる。
大好きなものや、大事なものをもちながら、それにただ所属するんじゃなくて、
凝り固まらずに、嘘をつかずに
どうやったらいられる?
なんか変。変な感じ。

卒業式では、
学長さんや壇上にお座りになられるwithマント先生方の入退場の時だけブラスバンドが演奏して、
彼らが恭しく卒業生たちの間を通って退場なさった後に、
司会の人が卒業生に曰く、”じゃ、速やかに退室してください!”。うん。なぜ?

Sunday, 25 March 2007

ゆっくりの時間の流れる

卒業式は明日。
なんだか嘘みたいだな。
お嫁に行く前の晩の気分ってこんな感じじゃないかしら。
5年間、茂木さん、みんな、本当にありがとうございました。

明日は桜、どれほど咲いてるだろう。
ずっと眠っていたので、外がどんな天気だったかも全然わからない。
緊張するな。

最近なんだか緊張してばっか。

哲学の道

以前京都の哲学の道を歩いていたら、
おじいさん、おばあさんと孫二人(小学生低学年と幼稚園くらい)が反対側から歩いてきていった。
おじいさん「ここは哲学の道っていうんだよ、知ってる?」
孫「知らない。でも哲学は知ってる。」
おじいさん「哲学は知ってるの?」
孫「うん、哲学はねえやっちゃいけないんだって。」
おじいさん「そうだよ、やっちゃいけないんだよ。」
孫「自殺しちゃうんでしょう?だからやっちゃいけないんだよ」
おじいさん「そうだよ、何で生きてるのか、とかはね、絶対考えちゃいけないんだよ。」

おもしろすぎて、倒れそうになった。

Saturday, 24 March 2007

いもむし太郎となった

昨日は”一応”最後のゼミで、
茂木さんに”最終講義”させてもらった。

5月から、2ヶ月間くらいオーストラリアに行く。
重い気持ちと裏腹にとんとん拍子で決まっていったことだから、
きっとこれはいいことなんだ、って確信してる。
あらゆる懸念材料が足を引っ張る暇もなく、とんとんとんと。
重い気持ちだって本当にあるんだかないんだか。
この心のうわつきを信じよう。

私は、愛するものをみつけたんで、今度はこれと誠心誠意向き合うフェーズに入ってく。
オーストラリアに行くことは、洗礼、みたいなものかもしれないな、と思う。

私、自分が今までやってきてしまったこと、見せてもらったこと触れさせてもらったこと
何一つ消えないと思う。
そのすべてを乗り越える何かをできたらいいな。
全部血として肉として、背負って背負って。
そうやって、ひょっとして誰かにとっての祝福になったら。

だけどめまぐるしく日々が過ぎてく。
ただただ高速で。

昨日家に帰ったら、お兄ちゃんが結婚することになってた。

今日目を覚ましたら、熱が出てて、
のどにタオル巻いて、布団体に巻き付けて
アイス食べたりする一日となった。
いもむしとなって何にも考えずに目をつぶっていた。

Tuesday, 20 March 2007

粉雪の祝福

毎日upするってほんとに難しい。

今日大岡山に行って、佐々木さん、柳川さん、小俣さん、関根君、野澤君と一緒に遅くまで飲んでいた。
ラーメンまで、食べた。
東工大生活で、初めての、大岡山ご飯。
ゲラゲラ笑って、外に出たら、雪が降ってた。
粉雪。
心強いくらいたくさん。
うれしくなって駆け回った。

一昨日から昨日にかけての合宿は、
真鶴、湯河原、江ノ島の特に海辺でみんなで過ごした。
新入生の子や植田君、ずっと一緒に過ごしてきた仲間、
自分でもよくわからないけど、
ああやって過ごしている時間が、
暖かい透明の毛布みたいに感じて、
手放しがたかった。
ふみちゃんと夜布団を並べて二人で眠りながら話していると、
一人一人の影がうごうご動いて波のように夢へと落ちた。

さあ明日から始動。

Friday, 16 March 2007

general movement in life

すごく久しぶりに、人生で数回めの朝まで飲み大会をやってしまった。
かなり飲んでしまって、
おぼろげな記憶では、私はこういうことが好きだ!とかひたすら言ってた気がして、
思い出すとつい、ひゃあ!とかなんとか叫んでしまう。

最近は色んなことがあって、バタバタと色んなことが過ぎてく。
私の人生はどういう風になっていくんだろうなあ、と思う。
子供のように、あっち向いたり、こっち向いたり
わけもわからずしてるうちに、なんだか、通り過ぎてく。
重大な決定ほど、ぱっとひらめいた思いつきで、あっという間に過ぎてく。
胸の中をのぞいて宝物を確認する。
なんだか正体不明の宝物を抱いてて、
自分でも、これをずっと持っていけるか、捨てたりしないか、不安で、泣きたくなるわ、やめたくなるわ、
感情もあっちゃこっちゃしてるけど、
体にしみ込んだ何かを信じて、このままバタバタバタバタしていこうと思う。

色んなことが愛しい。

Saturday, 10 March 2007

回顧

斎場御嶽のあの何の対立もない、私も、一つの生き物も、一つの粒子も同じく
感情の消え去った、だけどそれ故に、
その一粒一粒が自分の中に出入りして噎せ返ってしまうような存在感のあの場所と、
日々の自分を比べてみる。
なんで、あんな祝福の場所で、許された場所で、私はどうしようもなく苦しくなったのだろう。
どうしようもない理不尽さを感じたのだろう。
私にとっては大事な問いなので、何度でも立ち返って考えてみたい。

ーー以前書いた斎場御嶽に関する日記

Friday, 9 March 2007

花ひらく

ほぼ毎日更新しようと思っていたのに、
こんなに滞ってしまった!

昨日早足で街を通り抜けたら、
そこかしこの花屋さんが賑わっている。
赤やピンクの大きな大きな花々がいきなり、すっごい並んでいて
まるで、世界中で春だよ!と一斉に開花したようで
わあ、と思った。

昨日の朝は、まさに目が覚めた瞬間に、一昨日のことが腑に落ちるというような日で、
ずっと寝不足が続いていたからかすっごいとにかくぱーーーっと目が開くような感覚で、
なんだかすごく世界が輝かしく見えたんだけど、
それは愛しいものをより愛しく思うような気付きで、
こういう存在が私の心を潤して元気にしてくれるんだなあと思う。

誰がわかってくれなくても、自分のほんとに信じてる人たちが喜んでくれるようなことをしよう。
生きてる死んでるに関わらず、私が愛している人は、
自分自身を守ろうとしない人たちだから、
自分で動いて、自分をさらして、引き受けて、
痛い目を見て、責任を自分で取って、
自分独自の判断基準を一生かけて作り上げようとする人たちだから、
私も、私固有の問題を探りつづけて自分自身を作り上げていく。
死ぬまで格闘。
それがいいな。
そういう生き方が良いな。