Wednesday, 3 April 2013

神像

2009年の、『伊勢神宮と神々の美術』という展覧会で
神像をはじめてみて、度肝を抜かれた。
中でも、夫須美大神坐像を見た時は、思わず吹きだしてしまうくらいだった。

神様というと、キリストのようなぎちぎちの姿や、
いくつかの仏像のような、厳しさしか知らなかった私にとって、
(私は、そういうものをどちらかというと愛してきた。)
そして、繊細さ、というものが自分の心の中で価値あるものだった私にとって、
昔の日本の人の心にあった神様というのは、
こんなにもおおらかな、ふっくらとした、やわらかい、どーんとしたものだったのか、と知ったら、
本当にびっくりして、
なんだか力が抜けたのだ。

痩せてなくてはならない気がしてた。
(肉体的には痩せられなかったんだけど。)

こんなにおおらかな神様なんて世界中他のどこにもいるわけないよ、
と思ってしまうような、
本当に絶対的なおおらかさに、目をぱちくりするしかなかった。
日本って、こういうものだったのか、
昔の人の心はこんなにおおらかで、ふくよかで、強くて、やさしいものだったのか、と思ったら、
なんだか誇らしく、
不思議と解放されていくような気がした。
自分の中には、きっと、こういうものが生きている、
いままで、神経質こそいいような気がしてたけど、それは違ったんだな、と
目が覚めるような思いだった。

私は、このとき、こんなふうにふくよかになりたい、と思った。
私の心の中に、憧れの像として、どーんと座った。
そういう意味では、
まさに、神の像を得たような気がしている。


建築マップFORES MUNDIより拝借いたしました。)







Wednesday, 27 March 2013

夢見るスフィンクス

ベーコン展でとても好きだった絵。
『Sphinx iii』というタイトルで、
できることなら、ここにある質感の全てを、記憶したい、と思った。
一面黒に見えるけど、覚えきれないのはなんでだろう。
いくらでもいくらでも、質感が出てくるのだった。

それに、スフィンクスの目が血が通ってきらきらとして、
希望を持った檻の中のゴリラ、みたいな感じで、
体は固く、頭は大きく柔らかで、
恋しくて、なかなか離れられなかった。
今の自分と重なった。

http://www.allpaintings.org/)より拝借

マリーナとウーライ

Twitterで、マリーナとウーライの再会の映像があることを知った。
マリーナがニューヨークでやったパフォーマンス『Artist is present』は、
椅子に座ったマリーナの前に座って、言葉を一切使わず、
触れることも、まったくしないで、
見つめ合う、というもので、
誰でも、観客が、一対一で、マリーナと向き合うことが出来るのだった。
私も、どうしても、これだけはとニューヨークに行って、マリーナの前に座った。
何時間も待って、やっと自分の番が来る。
なぜなら、一度座ったら、何時間でも、見つめ合って良いことになっているので、
全然、自分の番が来ないのである。

マリーナは、結局、自分が作品になったのだった。
何も喋らず、飽きずに、他人が、ずーーっと見ていられる人間であるというのは、
一体どういう事なんだろう。

でも、Twitterで、このビデオを見たとき、
そんなことはともかく、この瞬間のためにこの作品はあったんだ、という気がした。

ウーライというのは、彼女が若いとき、公私ともにパートナーだった人で、
私は二人の作品が大好きだった。
私が一番好きなのは、マリーナの心臓に矢先を向けて、互いに反対側に体重を掛け合い、弓を引いていく、というもの。
マリーナは、ずっと、パフォーマンスとは、演技じゃないのだ、本当の感情なのだ、といっている。
信頼ということは、お互いがこんなにも緊張状態におかれることかと、震えてしまう。

結婚まで考えて、直前で、ウーライに好きな人が出来て、別れることになった。
そういうことってあるんだなあ、と最も信じられないことだっただけに、信じてしまう。
二人は、それ以来決して会わなくなった。

何十年経った、この日、ウーライは、多分私と同じように列に並んで、順番を待った。
マリーナが目を明けると、ウーライが座っていた。
言葉を頼らず、知らない人と向き合うこと、相手に好きなだけ見られること、
自分のコントロール出来ないことを背負うこと、3ヶ月それを毎日続けるということ、
いろんな考えがあってのパフォーマンスだった筈だけど、
目の前にウーライが現れたとき、
わたしは、このために、この作品はあった、と思ってしまった。
マリーナの意図したことではない。
だけど、この作品の成立はひとつ、ここにあった、と思ってしまった。
例えば、わたしと会うことは、わたしにとっては最上の体験だけれども、
マリーナにとっては、そうではなかったと思うからだ。
わたしには、非対称のつらさがあった。

このビデオは、
一生ないと思っていたことが、起こる。
あきらめていたことが、絶対無理だと思っていたことが、
思っても見なかったことが、実現された、という感じ。

ウーライとだったら、あっと体が反応して、動けない魔法はとけるのだ。

どうにもわからず生きている。
勝手に進行している、流れがあるから大丈夫。



Marina & Ulay, 1980. Rest Energy.
artlinkedより拝借)





記憶

今年の元旦、母方の祖父母が、何十年ぶりに、我が家へやって来た。
父の生家に私たちは住んでいるので、母方としては遠慮があったらしく、
私たちが小さくて面倒を見る必要がどうしてもあるときを過ぎてからは、
ずっと来てなかったのだ。
でも、昨年末、屋根を直したり、色々と家の修復をして、綺麗になったことを知って、
祖母が来たい、と言うことを口にしたので、お正月に呼んだのだ。

元旦、兄もお嫁さんと一緒に帰ってきた。

そして、父母、私が迎えた。

こんなにたくさん家族が集まるのは、なかったことで、
わたしはなんだかその日とても楽しく、
祖父もいつになく饒舌で、たくさん笑って、とても幸せな気持ちになった。

そして、3ヶ月が経って、この間である。
お彼岸で、祖父母の家に行ったときのこと。
普段からちょこちょこ顔を出してはいるが、
お彼岸ということで、この日も、祖父母、祖父の妹夫婦、母、私と、
めずらしく、一家が集まったという感じがあった。
やはり、たくさん笑って、
そうしたら祖父がまためずらしく饒舌になり、
突然嬉しそうに、こんなことを言い出した。
「この間、おまえのうち行ったときよう、久しぶりに繁夫さんに会ったなあ!
奥の部屋から、ちょっと顔出されてよう!
もう繁夫さん、何歳になるんだ?」

私たちは固まってしまった。
繁夫さんというのは、父方の祖父で、私が小学生の時に亡くなってしまっている。
私は、動揺して、
「うん、生きていたら、100歳くらいになるかなあ。。」
と答えたら、
「100けぇ!そうかあ、じゃあやっぱり、俺のことわかんなかったんだべ!
奥の部屋から、すっと顔出されて、すぐひっこまれたみたいだったかんなあ。」

その後も、戦争中、自分が、学徒動員で、炭鉱に行ったら、繁夫さんがそこにいたんだよ、
だから母を嫁に出す前から、知ってたんだ、とかいうことも含めて、
何度も、この話を繰り返すのだった。

私は、なんだか胸がいっぱいになってしまって、
「ねえ、おじいちゃん、繁夫おじいちゃんなんかいってた?
どんな顔してた?」
と聞いたら、
「なんでだぁ?なんかいってたの?」
「ううん、ただ、何か話したのかなあって思って。」
「いやあ、おれのことわかんなかったんだべ、奧から顔をちょっと見せられてよう、
すぐ、入っちゃったみたいだからよ。」

繁夫おじいちゃんが、本当にいたのかどうかはしらない。
でも、繁夫おじいちゃんがいたとしても、
ただおじいちゃんが繁夫おじいちゃんをみたということでも、
どちらでも、涙を堪えることが出来なくなって、私は急いで外に出てしまった。

色んなことを忘れやすくなっているおじいちゃんが、
私の家に来た楽しい時間のことを覚えていて、
その記憶と、繁夫おじいちゃんの記憶とが結びついてしまっただけだとしても、
それはなんとあったかいことだろう。

そして、奧の部屋から顔を出した、おじいちゃん、というのは、
絵が、びゃびゃびゃ、っと一瞬でわたしの頭にも浮かぶのだった。
顔がはっきり描けるのだ。

それに確かに、この日はお彼岸のお中日だった。




桜のもっとも美しい日に


3月22日、ゼミの日、たまたま桜がとっても綺麗だったので、
いつもゼミをやるビルの前の広場で、
極めて親しい人達と、
一本ずつ、缶酎ハイを飲むことになった。
特別な話もせずに、
静かに静かに時間が流れて、
青空に、薄いピンクの花びらがきゅっと、しているのを見上げていたら、
自分の内側で何かがしゅわしゅわといった。

そうだ、わたし、2011年3月11日は、このビルで地震にあって、
やっぱりコンビニで、一本ずつビールを買って、ここで、仲間と飲んだんだ。
その時は頭が完全に興奮していて、落ち着こうと思ってここに出てきたんだけど、
そしたら、火球(かきゅう)まで見ちゃって、あれ、火球だよね、はじめてみたよ、って、
とても落ち着くどころじゃなかったっけ。

へらいくんが、小学校の時、自分が太っていることに気がつかなかった話をした。
保健室に呼び出されてショックだった、
一緒に呼び出された仲間が太っていることには、ずっと気付いていたんだけど、
自分がまさか太っているなんて、思っても見なかった、とかいうんで、
とても幸せな気持ちになった。

うえだくんが、小学校の時、女の子と手をつなぐときに、
なんちゃらだったとかいっていた。


なんとなく、普通のことがまぶしかった。
何でもないいつもが、いつも通り表面静かに、しゅわしゅわしゅわしゅわ音を立ててた。

自分のサイズが、小さく小さくなっていくような、桜マジック。


Saturday, 16 February 2013

二月

大山阿夫利神社本社




























大山にはるなちゃんと登る。
大山阿夫利神社下社を過ぎた当たりから、段々雪が積もってきた。
ふっかふかの、軽い、踏むと、ぎゅっぎゅっと音を立てる雪がここにあった。



Sunday, 30 December 2012

名前がなくなる日


12月20日。茂木ラボのクリスマススペシャルでの出し物。
私はクリスマスなので、なんちゃって牧師となって
(冒涜であったらほんとうにごめんなさい。)
お話をするということをしました。

その原稿を公開します。

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名前がなくなる日

遠野でこんな話を聞きました。
遠野というのは、岩手県にある山間の場所です。海側は釜石、山側は花巻を結ぶ釜石線という電車に乗っていくことができます。釜石からも、花巻からも、ちょうど、同じくらいの距離にある場所で、昔は交通の要所だったそうです。

私が遠野に行こうと、釜石線の駅のホームに立っていると、女の人が二人で座っていました。楽しそうに話しているので、私は少し離れたところに立っていました。小さな単線のホームから見える山が紅葉していて、とても美しく、これからいく遠野はどんなところなのだろうと、私が思いを馳せていると、津波、津波、という単語が、風に乗ってきこえてきて、ああ、ここは、岩手なのだな、となんとなくはっとしてしまいました。

よくよく耳を澄ましてみますと、私は母を亡くしました、と一人の人が一段低い声で言うのがきこえました。もう一人の人は、息をのんで、かわいそうにねえ、と涙ぐんでいいました。その人の反応は、あんまり素直な反応で、やはり同じ境遇の、見知らぬ人同士なのだろうと推測されました。
 
電車に乗っている間、私の心はとても動揺していました。今の状況は、どうしていいかわからないというしかなかったからです。今ここは、ほんとうにどうしていいかわからないような場所だというような気がしてきました。旅行なんかで、のんきにきて、どのように立っているべきか、私は、よくわからなくなってしまいました。

そんな日の夜におばあさんから聞いたのが、
今日お話ししたい話です。
遠野物語として収録された、明治に起こった、大津波に纏わるお話です。

その大津波で、海岸近くに住んでいたある男の人の家では、奥さんと子供一人が亡くなって、その人と子供二人だけになりました。再びその場所に小屋をたててから一年が経った頃、その男が夜トイレにいくため海岸に出ると、二人の男女が見えました。
 なんとなく気になってよくよく見てみると、女の人は亡くなった奥さんにとてもよく似ています。しばらくこっそりついていきましたが、どうしても、どうしても、奥さんに見えるので、男は勇気を出して、声を掛けました。おまえじゃないかい?
 振り向いた女の人は、にこりと笑いました。
どうしてこんなところにいるんだい。なにをしているんだい。子供がさびしがっている、一緒に帰ろう。
 女の人は、いいました。私は、いまはこの人と一緒にいるから帰れない。この人はあなたと一緒になる前に別れさせられた、心の底から愛していた人です。
 男は食い下がって、子供がかわいくないのかというと、女はさっと表情を変えたけれども、泣きながら、足早に別の男の人と去っていってしまいました。 
 男は追いかけていきましたが、はっとあの二人は死んだのだと気付いて、夜明けまで道にずっと立ちつくし、その後長い間患うことになりました。

これを聞いて、 私は、
どれくらいの時間が経って、これは物語になったのだろう、と思いました。
そのことがずっと、
私の頭を占めています。

「今」に直面した日に、私はこの物語を聞きました。
物語になるなんて、とても想像できないことでした。
だから、 今は分からないけど、
私は一つだけ確信したことがありました。
それは、どんなに深い悲しみでも、いつか、物語になる、ということです。

いつか自分の母親を亡くすことも、
現実にならなかった夢も、
自分の顔が人から誉められるようなことのない顔に生まれてしまったことも、
性格が悪いことも、
ありとあらゆる人の、とるにたりない、小さな哀しみでも、いつか物語になる。

物語とは、繰り返すことである。
小さなものを、繰り返し、繰り返し、人に対して、あるいは、頭の中で、語るうちに、
どんなものでも物語になる。
物語とは普遍である。
個人の、名前の落ちた、普遍である。

どうかみなさんの哀しみが、物語となって、消えていきますように。