Friday, 14 May 2021

お相撲のこと

 もう10年くらいになるだろうか、大相撲が両国で開かれるたびに、両親と出かけていった。はじめて見たときは、土俵下に座るおおきなお相撲さん一人ひとりの、座布団や、まわしや、土俵上に垂れ下がるおおきな房、呼び出しの人たちの着物など、この場所でしか見たことがない綺麗な色に驚いた。日本の美意識が凝縮されている、という配色で、何とも言えず、美しかった。それから、無言で、時間いっぱいになって、取り組みがはじまって、無言で、呼び出しが上がって、土俵を掃く。決められたとおりに、一糸乱れることなく、くり返されていく動き。それを客が取り囲み、お酒を飲みたいだけ飲んで、焼き鳥などを食べ、歓声を上げている。あんまりお相撲をみていない人たちも多く、おもいおもいに過ごしていて、好き勝手に力士を怒鳴りつける人までいる。まさに花見のようだと思った。

 花は黙って咲いている。

 子どもの頃から通い通したようなおじさんが、数席先で「力士の体の色が変わるんだ。いいだろう」というようなことを言った。たしかに裸がみるみる赤く染まっていった。恥ずかしさで顔が赤くなったことならあるけれど、自分の体全体の色が変わるほど、力を入れた経験が私にあっただろうか。はじめての世界が開かれていった。

 ただ、私は相撲をとったことがないので、どなたの相撲がすごいとか、そういうことはまったくわからず、どちらかが倒れたり、線を出たりしたら、拍手をするというのがせいぜいで、何年も過ぎていった。父は、「あ、引いちゃった」などと私に見えない物を見る。いまだに私に相撲の良し悪しはわからない。ただ、決まった季節に、決まった場所へ、ほんとうに花見をするように、楽しみにしていた。そうするうちに、土俵に凝縮された努力への、また土俵以外で誰かが無言でしている努力への、敬意を持つようになっていったとは思う。

 そして一方で、オペラだとか、バレエだとか、西洋の観劇とは全く違う、日本的な観るという体験の居心地の良さも知った。向こう正面に座って、テレビに映ることを意識して、毎回来ているおじさんや、まったく姿勢を崩さずに誰かにお伴している芸妓さん、ビールを飲んでやじをとばしまくるおじさん、アイスクリームをほおばる外国の方、子ども連れのおかあさん、足の悪いおばあさんも、みんな気楽に存在できるのだった。静かにしていなくて良い。食べていて良い。お相撲にしても、落語にしても、歌舞伎にしても、この形は一つの到達点であり、優しさだと感じるようになっていった。

 最初は私と一緒にあれこれ感動していた母親も、その年月のうちに認知症になり、徐々に、状況の理解や、注意を維持することがむずかしくなっていった。土俵より、横の席に座る小さな子どもに夢中になったり、叫ぶおじさんの声に「うるさいわ」と小さく文句を漏らしたりするようになった。最近では、東京駅からタクシーで国技館に向かうとき、独り言がとまらない。東京のめまぐるしくかわる風景や、慣れない人の運転する狭い車で、落ち着かないのだろう。母が知らない人の前で文脈にそぐわない発言をするのが、私はどうしても恥ずかしくて仕方がなくなっていった。お相撲の中では、でも、そんな声はかき消されるから。母の存在は許されている。

 本当に色々変化していった。母の下着はパンツからオムツになった。コロナがやって来て、歓声を上げることは禁止になって、マスクをして一つおきに椅子に座って、観客は無言になった。そういう世界で、小さな母の独り言が響く。

 ざらざらざらと砂にもまれて、カラー写真が色をはぎ取られでもするように、母という印象が薄れていく。少しずつ、あっちの世界に転送して行っているのではないか、と思うほどに、私も母を忘れてしまう。そこにいるな、ということしか、気にしなくなっている。そういうときに自分の中の自然の力を感じる。


1 comment:

Anonymous said...

私も状況は違いますが、統合失調症で認知機能障害を持つ母がいます。
元気でしっかりした母を知っている為か時に手をあげては後悔し、この世界に神様がいるのであれば、自分の命を削ってでも母に少しだけでも母らしく生きる時間をくださいと祈ることもあります。番組も拝見しました。お母様に寄り添っておられた姿に涙が流れました。私はまだまだ人として、息子として未熟なんだなあと改めて気づかされました。でもおかげさまで母との向き合い方を考えさせられるきっかけにもなりました。また是非同じような環境にいる方々のためにも発信していただけたらと思っています。私はすごく勇気をいただきました。ありがとうございました!