Tuesday 27 November 2018

『脳科学者の母が、認知症になる』番外編

『脳科学者の母が、認知症になる』(河出書房新社)が発売になって約一ヶ月が経った。

本の中に入りきらなかったけれど、今でも私の支えになっているいくつかのお話を
ここに書いておこうと思う。

   ハンカチのこと

大学生のころ、教職課程をとっていて、その一環で夏休みにある施設へ介護実習に行った。
そこで出会ったおばあさんが、今考えてみればアルツハイマー型認知症だった。
そのおばあさんの横でお話をするように、職員の方から言われて、隣の椅子に座った。
おばあさんは、若い私に、家族のことを尋ねた。ご両親はどうしているの?一緒に住んでいるの?など。そして、そのうちご自分のご家族のことを聞かせてくれた。戦争中のことがとくに深く刻み込まれているようで、何度も何度もお話になった。
おばあさんは、施設の中で洗濯物をたたむ係に任命されているらしく、白いハンカチなどを、ずっと手を休めずにたたみ続けていた。懐かしそうに、ときに涙ぐみながらおはなししながらも、左側に置いてあるかごから出して、たたみ終わったものは右側のかごへ、せっせとおさまっていった。
しかし、そろそろ洗濯物がなくなる、というときになって、職員の方がやってきて、右側のかごのものを出して、こわして、左のかごへ戻して行った。
折角たたんだものに対してなんてことを、と驚いて職員のほうを見ると、「仕事があることが大事だからね」とただ一言おっしゃった。

その時の私には、おばあさんが崩されていくことに気がつかないでずっとたたみつづけていることや、その職員の方の言葉がとてもショックだったけれど、今ならとてもよくわかる。

なによりも大切なことは、その人が、人の役に立っていると感じられることがあること。そして続けられていること。

ときどき振り返って見る方位磁針のような話。


   汚いのと、怒られるのと。

洗うべきものと、洗い終わって綺麗なもの。
これがまぜこぜにされてしまうことがある。
それが嫌で、お風呂場で、母が着替えを済ませるまで横で見ているようにしていた。
しかし、見張られながら服を脱ぐことは母にとっては嫌なことである。
私にとっても嫌なことである。
嫌な雰囲気の中だから、母は混乱して、着替えが一向に進まなくなる、
それでよりいっそう私がイライラして怒ってしまう、ということが続いた。
ストレスがたまって、友人に相談した。「母にとって、汚いのと、怒られるのとどっちが良いと思う?」
友人は即答した。「そりゃあ、汚いのに決まっているじゃん。」
怒られるくらいだったら、汚いままの方が良い。
私は「毎日綺麗にしてあげたい」「母のため」と思ってしまっているけれども、監視までされて、怒られる、それは本当に母のための良いことなのだろうか。
汚いままの方が良いに決まっている。
あんまり汚い日が続くと問題だけれども、怒ってしまうくらいなら、数日汚い日が続いても別に良いと思うようになった。
「こうでなければならない」と思い込んでしまって、一生懸命になってしまっていることがたくさんある。


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