Monday, 14 March 2011

鳥を。

今日はずっと絵を描いていた。

沖縄で一度だけ見たことのあるズアカアオバトの絵。
ずっと描きたいと思ってた。
金色にぴかぴか光って、左手を振り上げ、夢のような低い声で鳴いていた。
「あの鳥の声が、おもろ(神へ捧げる思いの歌)になったのです」
とその場にいた方に教えてもらった。
神様にしか見えない鳥だった。
あまりにもきんぴかだったので、私の中ではキンバトとインプットされてしまい、
youtubeで検索しても、googleのimage検索しても、どうも、あのときとちがうなあ・・と
あのとき1回だけのお姿だったのだろうか、などと思っていた。
それもそのはず、名前が間違っていたそうだ。

でも、それ以来わたしは、鳥で心がいっぱいになって、忘れられない。
今は、イメージ検索をして、wikipediaなどから写真を拝借して、うつすだけの状態だけど、
いっぱいいっぱい描いていたら、いつかあのときのイメージを描くことが出来るようになるだろうか。

Tuesday, 1 March 2011

Gospel in Brief

トルストイ『The Gospel in Brief』を読み始めた。

編集したFlowersさんの書いた序章には、
Both Wittgenstein and Tolstoy understood that the question of the meaning of life was not an academic question
and that words were inadequate to explain the meaning of life.
とある。

そしてトルストイ自身の書いた序章には、
ソクラテスも大衆の前で話をしたことを忘れるな、とある。

トルストイは、生きる意味が感じられなくて、いつ自殺してもおかしくない状態だった。
知識を得れば生きる意味がわかるはずだ、いろんな学問に必死で取り組み、有名な人達に生きる意味について手紙で質問する、
なんにもわからない、それで、その嘘に目覚める。
彼は自分なりに読むということを開始する。

彼は色々な宗教(というより教え)を検討して、最終的に、聖書に生きる意味を見出すのだけれども、
教えられてきた通りに読むのではなく、
たった一人で、キリストの教えだけに注目して読み込み、自分で解釈をする。
それで、教会が立場を保つために強調して、歪めてきたこと(これだって、彼が「そう見た」ということだ。)を取り除いて
キリストの教えに目を見開けば、生きる意味が見える、と確信した。
それで彼は、生きる意味の書として、ギリシャ語のオリジナルの4つの福音書から、キリストの教えに注目して翻訳編集するのだが、
このとき、キリストの起こした奇跡、キリストの生まれ、キリストの復活etcについてはどうでも良いものとして扱わない。
奇跡が真実かどうか(みんなこればかりを気にして、己の正当性を競う)、そんなことでなく、
彼は自分で、キリストの声だけを、なんとかこの弟子達によって書かれたものから、聴こうとする。
己の翻訳に対する、信念に対する、彼の確信っぷり、責任の取り方が見事だった。

For these readers there are only two issues:either to make humble submission, and renounce their deceits; or, to persecute those who arise to accuse them of the evil they have done and are doing.
If they will not renounce their deceits, it remains for them to take the only other part, that is, to persecute me.
For which, in now completing my writing, I am prepared, with joy and with fear for my own human weakness.

でこの文章は終わる。
ゴーゴーという嵐の夜の音がしてくる気がする。
一行一行がなんだか、これ書かなきゃ死んじゃう、書いても死んじゃう、みたいな感じがする。

もういろいろいろいろたくさんだ。
ベルトコンベアに運ばれず、今をとめるために。

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1. Man is the son of the Infinite Source of Being; he is the son of this Father, not by the flesh but by the spirit.
2. And therefore, man must serve the Source of his being, in the spirit.
3. The life of all men had a divine Origin. This Origin only is sacred.
4. And therefore, man must serve this Source of all human life.This is the will of the Father.
5. Service of the Will of the Father of Life is life-giving.
6. And therefore, it is not necessary to life that each man should satisfy his own will.
7. This present life in time is the food of the true life.
8. And therefore, the true life is outside time; it is in the present.
9. Time is an illusion of life; the life of the past and the future clouds men from the true life of the present.
10. And therefore, one must aim to destroy the deception arising from the past and future, the life in time.
11. The true life is that now present to us, common to all, and manifesting itself in love.
12. And therefore, he who lives by love now, in the present, becomes, through the common life of all men, at one with the Father, the source, the foundation of life.

(from 『The Gospel in Brief』Leo Tolstoy, Translated by Isabel Hapgood, Edited and with preface by F.A.Flowers III.)