Tuesday 2 March 2010

等伯展

長谷川等伯展に行ってきた。

若い頃の絵に惹き付けられた。
本当に綺麗な色使いで、緻密に、激しい強さで、たくさん神様の絵を描いた。
描かれる人たちは、例えば、故事に出てくる人たちは、
みんなはっきりとしていて、
故事を描いているんじゃなくて、人がいる、という感じだった。
狂った人の絵がいっぱいあった。
達磨の、変なたった一本の草に乗って、川を渡る絵、
羅漢達、偉人達、
選ばれている瞬間は、みんな、狂っていた。
この人も神様のことばかり考えている人だったんだと思った。

この人の描く涅槃図は、大好きだった。あまりにも美しい沙羅双樹。
仏が死んで、様々な生き物がよってきて、鬼も悲しみ、神も悲しむ。
みんなが描くものだけど、なぜこの人の絵ははっきりとしていると思うんだろう?

なんだろう、どこか、絵に現実感がない。
例えば、故事の人に現実感を感じられたのは、私ははじめてだったのに、
矛盾したことに、どこか現実感がない。
そうか、この故事の人に現実感があるのではないのだな。
等伯の精神がすっごい好きだということなんだと思った。

その人が、俗世と交わった。
そうしたら、すっごい絵が出来た。
橋の絵。変な月がぼっこりあって、謎の柳がすごかった。
なんだそれ!
と思った。まちがいなくすっごいものだった。
橋がどこまでも架かって、水車がぐるぐる回ってた。
政治家も、神の人も、認めるに違いないすっごい絵だった。

その人が、最後に松林図を描く。
(正確には、人生の中で最後なのかどうかは知らない。展示の最後にあっただけ。)
それはすっごいと思った。
このすごさは私にはとてもまだ書けないけれど、
例えば、関わる人が変わっても、
この人はまったくぶれてない。
合わせない、ということじゃない。だって、この人の変化は劇烈だから。
でも、ぶれてない。絵を描くときだけだったとしても、ほんとうにハッキリとしている。
一貫しているのは、線に迷いがないということ。劇烈だということ。


笹がキラキラしていた。

この人は、常にお化けと一体だった。
そういう感じがした。


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長谷川等伯(信春)筆 善女龍王図 (石川県七尾美術館のサイトより。)
この絵はとても好き。若い頃の絵だけれど、これがずっと一貫しているように見えた。

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