Sunday, 28 December 2008

人間

夏目漱石の「虞美人草」を読んでいる。

 「まあ立ん坊だね」と甲野さんは淋しげに笑った。
勢い込んで喋舌って来た宗近君は急に真面目になる。
甲野さんのこの笑い顔を見ると宗近君はきっと真面目にならなければならぬ。
幾多の顔の、幾多の表情のうちで、あるものは必ず人の肺腑に入る。
面上の筋肉が我勝ちに踊るためではない。
頭上の毛髪が一筋ごとに稲妻を起こすためでもない。
涙菅の関が切れて滂沱の観を添うるがためでもない。
いたずらに劇烈なるは、壮士が事もなきに剣を舞わして床を斬るようなものである。
浅いから動くのである。本郷座の芝居である。
甲野さんの笑ったのは舞台で笑ったのではない。
 毛筋ほどな細い管を通して、捕らえがたい情けの波が、心の底から辛うじて流れ出して、
ちらりと浮世の日に影を宿したのである。
往来に転がっている表情とは違う。
首を出して、浮世だなと気が付けばすぐ奥の院に引き返す。
引き返す前に、捕まえた人が勝ちである。
捕まえ損なえば生涯甲野さんを知ることは出来ぬ。
(岩波文庫より抜粋)

煮えたぎった心を抱えていても、終始穏やかに、隠し去れ
鍵をかけて葬れ
自分の奥底へと押し込めて
動かす燃料として燃やせ
火を絶やさないようにどんどんくべろ
使うな
他のことに使うな
見失わないように

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