下のpostで、
”己を捨てる”って書いたけど、違うな。
どちらかというと自分に”なる”とかそういう感じ。
自分を主張する、とも違う。
ニューヨークにいるときの、あの、楽、な感じ。
そのままでいいんだ、というか、
本来の自分が、自然にあふれ出てくる感じ、
そういう感覚は、本当に自由で、
トラウマが消えていくような、
そういう気さえしたのだった。
私が持っていたマトリョーシカがいっぱい描いてある妙なバッグも
通りがかりの人何人もにほめられた。
変な話だけど、わたしはだいじょーぶなんだとおもった。
ちんちくりんでも、ずんぐりむっくりでも、
変な英語でも、本当に楽しいんだと思った。
洋服も、ブーツも、
いつになく沢山の買い物をして、
本当に解き放たれて帰ってきたのだった。
Thursday, 27 November 2008
Tuesday, 25 November 2008
今への目覚め
今回の旅行は、行く前から本当に楽しみで、いつになく興奮していた。
Washington DCでの学会発表と、NYCの自由旅。
結果、アメリカってすっごくいい!と思ったたびになった。
ワシントンもニューヨークも、初体験。
今まで私はどちらかというと、過去の、遠い昔のものが好きだった。
ジローとアメリカで一番最初に出来たというピザレストランでこんな話をした。
イタリアでどこがすき?僕は、ローマ。私はフィレンツェ。
”フィレンツェって街全体がミュージアムみたいで、過去、みたいだ。
僕は、どっちかというと、今生きている、活気のある場所が好きなんだ"
ジローは大阪を好きだといって、私は京都が好きだった。
MOMAに連れて行ってもらったときも、ジローはモンドリアンがすきだといって、
私はゴッホとか生命の傷を感じられるようなものが好きだと言った。
(でも一番よかったのはジョンケージの、なんだか星をちりばめたみたいな、もしくは、地図のような、楽譜。と、オノヨーコの石。)
ジローのいったことが心にずっと残っていた。
ニューヨーク最終日、朝6時に起きて、自由の女神、グランドゼロ、メトロポリタン美術館、MAMMA MIA!を見に行った。
オバマの当選の今の時期、自由の女神をみていたら、なんだかアメリカってすごいな、と思った。
自由の女神に行くフェリーは、ニューヨークへの帰り道にEllis islandという小さな島に泊まる。
ガイドブックのlonely planetの説明では、
"Ellis island. An icon of mythical proportions for the descendents of those who passed through here, this is island and its hulking building served as New York's main immigration station from 1892 until 1954, processing the amazing number of 12,000 individuals daily, from countries including Ireland, England, Germany, and Austria. The process involved getting the once-over by doctors, being assigned new names if their own were too difficult to spell or pronounce, and basically getting the green light to start their new, hopeful and often frighteningly difficult lives here in the teeming city of New York.(後略)"
とある。
とにかく誰でも受け入れて、名前が難しかったら新しい名前にして、つべこべいわずに移民を受け入れて一つの国が出来る。
第一次世界大戦後くらいから、審査は厳しく変わっていったようだけど、
本当にすごいと思ってしまった。
移民達は、船からどんな気持ちでこの自由の女神を眺めただろう。
ところでどうして私は、いつもにまして、こんなに、希望に満ちた予感、というかそんな気持ちでいるのだろう。
MAMMA MIA!のエネルギーもすごかった。
ニューヨークの若いアーティストのあつまるバーでのパフォーマンスを見ているときもそうだったけど、
目をつぶりたくなるほどのエネルギー。
己の捨て方、というか、その”今”に対する覚悟。
はちゃめちゃで、解きはなって、
お客さんも、ゲラゲラわらって、最後には隣に座っていたイギリス人の老夫婦も立ち上がってdancing.
アメリカで、このエネルギーに触れられたことは本当によかった。
なにか今、ということに、はじめて心が開いていくような、そんな気持ちがした。
それはなんだか、心が許されたようなそんな気持ちもする体験だった。
ジロー、ウェン、本当にありがとう。
John Cage
Paul Cézanne
With Giro
Wednesday, 19 November 2008
距離の取り方
私はいつでもどっちかというとどっぷり浸っているような気がする。
だからなぜだか、記憶の中で、そんなに昔とか今とかを区別するようなことが、あまりなされていない気がする。
幼稚園の時、
月に一度とかそういう頻度でなんとかスクールとよばれるクラブ活動のようなものがあった。
いつもいつも、自分がどこに所属しているかがわからなくて
毎回色々な部屋をぐるぐるまわって、
いつも面倒をみていた一つ下の子がいたから、そこにいる、とか
そんな感じだった。
なにか決まっているらしいのにどこにいけばいいかわからない、
だけど、誰にも言えない、
そういう気持ちで走っていたときの感覚はよく覚えている。
その気持ちは、今も昔も時間の貼れないなにかで、
変化と言うことから免れている
(つづく)
だからなぜだか、記憶の中で、そんなに昔とか今とかを区別するようなことが、あまりなされていない気がする。
幼稚園の時、
月に一度とかそういう頻度でなんとかスクールとよばれるクラブ活動のようなものがあった。
いつもいつも、自分がどこに所属しているかがわからなくて
毎回色々な部屋をぐるぐるまわって、
いつも面倒をみていた一つ下の子がいたから、そこにいる、とか
そんな感じだった。
なにか決まっているらしいのにどこにいけばいいかわからない、
だけど、誰にも言えない、
そういう気持ちで走っていたときの感覚はよく覚えている。
その気持ちは、今も昔も時間の貼れないなにかで、
変化と言うことから免れている
(つづく)
Thursday, 6 November 2008
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