Tuesday, 16 July 2019

ど忘れをチャンスに変える思い出す力

 茂木健一郎さんの『ど忘れをチャンスに変える思い出す力』(河出書房新社)が発売になりました! 編集協力をさせていただいたので、宣伝を。

 覚えることではなくて、思い出すことが大事。
 暗記ではなくて、自分の生活の中で、自分のやり方で試してみることが大事。
 簡単に言えばそういう本なのですけれど、自分の人生の中で、親や、環境や、
自分の能力不足、タイミングが合わないなど、いろんな事情で、あきらめたこと、
挫折したことを、何一つあきらめなくていいんだ、そういうことこそ思い出して、
状況がまったく変わった今、やってみればいいんだ、とおっしゃいます。

 読んでいると、やりたかったことが頭の中にたくさん蘇って、
これからやりたいことが無限に出てくるような気がします。

 そして自分が今ここにたどり着くことになったきっかけは、
自分の努力や、怠惰もあるけれども、本当に偶然の連続だった、という
記憶の深掘りをしていく喜びがありました。
 自分に意識できていることが全てではなくて、無意識のうちに進行している世界がある。
そちらの方へ注意を向けるレッスンにもなりました。

 アルツハイマー型認知症に話を絞らず、子供からお年寄りまでの「思い出す力」
がまとめられています。編集協力させて頂けて、本当に幸せでした。
 読んで頂けましたらば、幸いです。


















ど忘れをチャンスに変える思い出す力(amazon)

Monday, 10 June 2019

生花の記憶


生花の記憶

四月にハワイ島にいったとき
はじめて生花のレイをかけてもらった。

昔の映画をみると、
飛行機のタラップから降りてくると
現地の方がひとりひとりにレイをかけているけれど、
観光客がこんなにも増えた今
そんな習慣は不可能になっている。

しかし今回は、
わたしの習っているフラの先生と一緒だったから、
先生のお知り合いが空港でまっていて、
わたしにまでレイを用意して歓迎してくださったのだ。

人生初のレイはプルメリアで作られていた。
なんていい匂いなんだろう。
生花を首にかけているわけだから
当たり前かもしれないけれど、
夢の中にいるのでは、というほど
ずうっと香っている。
香水のもとが自分の首にあるわけである。
自分の体の熱で花が萎れてしまうのでは、
と手で触るのがこわい。

朝自分で状態のいい花を選んでつんで、糸に連ねていった、
下手だけど、思いはこもっているわよ、とその人はいった。

花は葉っぱでこすれても茶色くなってしまうから、綺麗な花をレイにするほど咲かせるには
いつも手入れが必要だ。
朝咲くもの、夜咲くもの、時期もある。

それをハワイのひとたちは、
毎日髪にさしたり、
友達にプレゼントしたり、
とびっきりのおしゃれにはかかせないものとして楽しんでいる。

メリーモナーク(陽気な王様)という、
野蛮なものとして禁止されて滅びる寸前だったフラを復活させたカラカウア王は、
好奇心いっぱいの、陽気な王様で、
彼を祝福する祭りとして50年以上前に
はじまった年一度のフラの祭典。
フラのオリンピックともいわれるほど、
ハワイの人たちが盛り上がるお祭りで
前夜祭含めて四晩つづく。

わたしはこれをみにいったのだった。
そこに来ている人たちは、
とびっきりのハワイアンドレスをきて、
とびっきりの生花飾りを身につけて、
あの人のあれ素敵ね、とファッションで競い合う。
会場は、だから、スタジアム満員の人の
生花の香りで、夢のようなのだった。

生花飾りひとつ、自分に身につけるということは、
どうやったら美しいか、
植物の選び方、編み方
育て方、
萎れないようにする工夫、
萎れてからの対処、
というように、
自然との付き合いかたを教え、
自然への愛情を深く育むことになるんだなあ、
と感じた。

メリーモナークのあいだ、
日中その街中をパレードが出るのだけれど、
そのパレードには、大地(aina)を大切に、というメッセージをかかげた人がたくさんいた。

今つつじや、たちあおいが本当に綺麗で、
あっとおもって、一輪拝借、
頭にさしてでかけるなんてことは
今の日本でわたしにはできそうもない。
子供だったらかわいいというのはなんで?
欲望に素直になって、それを磨くということしていきたい。

舞台で踊るひとたちは底抜けに
明るく、
この明るさを忘れまい、
と心に決めた旅だった。

Sunday, 9 June 2019

2019年6月2日

NPO法人「認知症の人とみんなのサポートセンター」でお話ししてきました。
代表の沖田祐子さんと、副代表の杉原久仁子さん。






















Sunday, 21 April 2019

ある日の出来事

4月某日。父からラインで「ママがいなくなった」と連絡があった。
母が合唱が好きなので、自分たちの暮らす駅近くの歌のイベントにいったとき、
トイレで男女に分かれたときに、父が出てきたら、母がどこにもいなかったらしい。

母はGPS付きの靴を履いてくれている。
父と散歩に出る習慣があって、ほぼ毎日履く癖がついているから、
その日もこの靴を履いてくれていて、よかった。

携帯で位置検索をしてみたら、そのイベント場所と家の間くらいに居る。
どうも家に向かって歩いてきているようだ。
5分後また検索してみたら、もっと家に近づいていた。
地図上に、ぴしーーっとピンポイントでマークが出て、本当に頼もしかった。

母は父がいないので、一人で歩いて帰ってきたのだった。
駅から家までの道を母はまだ覚えていた。
どうも女性トイレが混んでいたため、入らないで出てきて、
父がいないので家に向かったようだった。

母の行方がわからなくなったのは、今回がはじめてではない。
昨年秋に、私が名古屋に授業に行っている日に、父から「いなくなってしまった」と連絡が入った。
(このときの出来事がきっかけでGPS付きの靴を購入した。)
デイサービスに通い始めてすぐくらいのときだった。
母が週一で通うことにしたそのデイサービスは、
なんというか、デイサービス感のないところである。
母は、まだ60代であり、体はとても健康で、体力がある。
家の近所のデイサービスはこの場所以外だと平均年齢80代で、
そこになじむことは難しいのではと、ケアマネージャーさんからご紹介いただいた。
スタッフの方々が、まるでディズニーランドのような制服を着ていて、
運動機器があり、料理教室があり、手芸教室があり、やりたいことをその日の気分で選べる。庭を散歩しに出ることもできる。
そこに行って、いままでやったことのないことをやって、新たな趣味ができたら嬉しい、
わたしがダンスを習いに行っているように、習い事にいくような感覚で行けたなら、すごく希望があると思った。

「なにかやりたい」と自分から母が言えるかどうか不安だったけれど
一応迎えのバスに、すんなり乗って、元気な顔で帰ってくる。
「どうだった?」と聞いても、覚えていないから、本当に大丈夫なのか確認することはできない。元気な顔で帰ってくることが、大丈夫な証拠だと思うしかない。
自分が作ったクッキーなり、手芸の作品などを見せてくれ、「どうこれ?」と誇らしげに言われるときもあれば(そういうとき「かわいいね」というと嬉しそうだ)、「これ誰が作ったのかしらね」と言われるときもある。
私が幼稚園のときは、母もこういう気持ちだったのだろうか、と思う。
先生に、ちゃんとやれてるか逐一ききたい、というような。

話は戻る。そこに通い始めたばかりのころ、
母はそのデイサービス施設からいなくなってしまったのだった。
ふと目を離した瞬間に、いなくなっていたらしい。
お庭に出る人と一緒に、出てしまったのかもしれない。
何時間もスタッフの方、ケアマネージャーさん、父が探し回ってくれて、
ようやく夕方見付かったのは、
その施設と家とのちょうど中間地点だった。
施設から家までおそらく7,8キロだろう。

母にどうしていたの? 何があったの? 施設がいやだったの? と聞いても
彷徨ったことすら忘れてけろっとしていた。
「そんなことないわよ」と言われただけだった。

何日か経って、父と母が散歩に出て、あるファミレスに寄ったら、
店員さんに「この間大丈夫でしたか?」と言われたらしい。
あの日、母はいつも父と寄るこの店に入って、
窓際に座って、ずっと外を見ていたらしい。
父が来ないかとずっとまっていたらしい。
お金を持っていなかったし、何もたのまなかったという。
それなのに、母を長く居させてくれたこのお店には、感謝の気持ちで一杯で、
今思いだしても涙が出る。ありがとうございます。

とにかく母は、施設から出て、家に向かって、ファミレスに寄ったり、いろいろしながら、歩いてきたのである。

どうして今日こんなことを書いているかというと、
認知症で徘徊というようなことが言われるけれども、
徘徊と言っても、家に帰ってこようとして迷ってしまうパターンもある、ということを言いたくなったからだ。
家から出て行ってしまうパターンだけじゃない。

家に帰りたいという気持ちをもってくれていて、本当に嬉しい。
そこはママの良いところだから、大事にしないと、と思う。

Sunday, 17 March 2019

いくつか文章のお知らせ


文芸評論家小林秀雄さんを学ぶ塾、「池田塾」に通っています。
塾頭は、小林秀雄さんの担当編集者だった池田雅延さん。
塾頭補佐は、茂木健一郎さん。
池田塾の刊行しているweb雑誌「好*信*楽」1・2月号に載せていただいた文章
https://kobayashihideo.jp/2019-01/小林秀雄さんにいただいた向き合う勇気/

「第三文明」三月号のCLOSE-UPでインタビューを掲載していただきましたamzn.to/2t0yIyu

PRESIDENT Online
3月16日 「母が認知症になって脳科学者が考えたこと」https://president.jp/articles/-/27987
3月17日 「“アルツハイマー病で感情が消える”は誤解」https://president.jp/articles/-/27989


祖父の死

最後の投稿から三ヶ月も経っていてびっくり。。。

お正月、祖父が亡くなった。
祖父は、小さい頃、私に本を買ってくれた。
祖父は晩年アルツハイマー病を患った。
目は殆ど見えなかったし、耳も殆ど聞こえなかった。
しかし、私の本が出たとき、施設の方が、
「○○さんが絢ちゃんに本を買ってあげたから、絢ちゃんはこんなに立派になったのですね」と語りかけたら笑ったと、
亡くなった日、施設の方が私を抱きしめて教えてくれた。

亡くなってなお、○○さんお風呂入りましょうね(湯灌である)、○○さん着替えましょうね、と何をするにも声を掛けてくださった。
私も、祖父の髪にはじめてドライヤーを掛けた。
知らせでかけつけたとき、祖父はまだぜんぜんあったかかった。
生と死の切れ目なんかぜんぜんわからないことを教わった。

祖母に祖父の死を伝えたら、「泣くんじゃない。あんたは意気地がないね、90も超えて長生きして、ぜんそく持ちの体で、ほんとうによくがんばった、と私はほめてあげるよ。」と言われた。
骨の前で、「人はみんなこうなるんだよ。よくみておきなさい」と言われた。
祖父はあごの骨がしっかり残って綺麗だった。

「この人は文句一つ言わなかった。旅行に行ってもいつも私の荷物持ち。勝手は私の専門で、ほんとうにやさしい人だった。」

私たちは、お正月にお葬式もできず、年末に用意してしまっていた祝い膳をむしゃむしゃと食べた。

お葬式に友人が贈ってくれた花束をなんとか49日までと思ったら、
菊はそんなのあっさり超えて、つい一週間前まで元気に咲いていた。二ヶ月以上。

そんなこんなな三ヶ月だった。

Monday, 31 December 2018

2018年

年末は、ひたすらお掃除。
1月に買っていた本棚をやっと組み立てた。部屋がすっきり。
大晦日、台所のお掃除。見ないフリしていたところを、ちゃんと開けて掃除。すっきり。
それからさっき母と散歩がてら、お正月のための買い忘れていたものを買いに行って、
今ようやく自分の部屋で落ち着いているところ。

2018年は、表現する喜びを知った。
河出書房新社の高木さんが「やりましょう」といってくださったのが、2017年6月。
「でも、このままでは読者が安心して読むことができません。
科学者としてどっしりと立って、
読者が恩蔵さんにしっかり頼って読むことができるように、書き直してください。」
最初のミーティングでそういうアドバイスをいただいた。
毎日の日記状態で、
私自身が母との生活にマックスに動揺しちゃっているような原稿を、
どう直したら良いか、道筋がばああっと開けたのだった。

書き直しても、つい自分の感情だけのエッセイ風になっているところにはかならず、
「恩蔵さんの思いだけではなくて、科学的にどういうことなのかちゃんと説明して閉めて下さい」というコメントが入って返ってきた。
高木さんのおかげで、「科学者」の部分を文章の中でどんどん積み上げていけた。
何人かの方から、個人としての感情を、科学者としての目で追っているところを褒めて頂いたけれど、それは、高木さんのおかげだ。
文章の中だけでなく、現実生活の中でも、私は、高木さんのおかげで科学者の部分が育って、強靱になれた、と感じている。

そうして最後まで書き上げてからは、
高木さんの周りの方にも入って頂いて、更に直していった。
そして2018年10月、上梓したのである。

こうやって文章を作っていくという楽しさが、忘れられない。
人にはどこがわかりにくいということを教えてもらうこと、
一緒にこれってどういうことだろうと考えること、
細かく細かく自分が思うことを表現して、伝わるように鍛えていくこと、
最高に幸せだった。
楽しくて、楽しくて、だから、母との生活も格段に楽しくなった。
生活が、大丈夫になった。

不思議なんだけど、この本を書いて思うようになったのは、
家族って、年齢も、職業も、バラバラで、
見ようによっては、とっても多様性がある世界だと思う。
その中で、どうやって愛情を育んでいくか、そういう試練は、
やっぱりとっても面白いことだと思う。

もう一つわたしがやっている大事な仕事である、大学の授業も、
ものすごく緊張するし、大変だけど、表現なんだと思うと楽しい。
もし私の話がだめだったら、あきてしまうかもしれない人たちがいて、
反応が目の前で起こる。バックグラウンドの異なる、色んな人がいる。
その人達の顔を見て、個性を感じ取るように心がけながら、
言葉で表現するという試練が、私は本当に好きだと思った。

もっと文章を書きたい。
もっとperformanceをしたい。
public speechを学びたい。

少しでも、世界が平和で、多様性を認められる方向にいく力を持つ言葉を話したい。

本当に楽しくて、本当に幸せな一年だった。
そして来年は、今年とも違う新しい年にしよう。

どうかみなさまの新しい一年も、素晴らしい年になりますように。