古くからの友人たち(NとY)と、インドネシアからきた友人(I)とともに、
大繁盛の「ひろめ市場」の片隅で、
日本酒とともにキュウリと鰹のおいしい刺身を食べ、心の中から魑魅魍魎が表れた夜が明けた。
疲れた体に鞭を打ってN君が車を運転してくれて、中心街から15分くらい行く。
本当に個人の家のお庭に止めさせて頂くような形で、「和霊神社駐車場」はあった。
それまではなんだか、高知って都会だなあ、とぼーっとすごしていたのだけれども、
N君が角度の難しいそのお庭でも、全く不安を見せずにぴったり止めることに、
やんややんやいいながらドアを開けたら
急に、なんだか「他のどことも似てない高知」に来た気がした。
和霊神社あっち、みたいな簡潔なボードをたどって、民家の中を行く。
何度か角を曲がると畑がある。自然にコンクリートの道ではなくなって、
ぶどうだったか、キュウイだったか、果物畑かな。
綺麗な水路。山から流れてくるようだ。さらさらさらさら。
なにかいるかとのぞきこみながら、その細道を上る。
集落から畑になって山へ、と自然になっていく感じは、うちと同じだ。
だけど、こんな水路はもうないな、草が茂って、赤とんぼ!なんて気持ちの良いところ、と
顔を上げたら、大きな木の下に着物姿の女の人が立っているとでもいうような感じで、
はっと目を捉えるものがあった。
この土地の人が、この近くに生えていた木を心を込めて削って、「和霊神社」と刻んだのだろうな、という
山に溶け込む、とても線の細い鳥居。
心細いような、心強いような、なんだか異常に美しかった。
人が畑に手をかけるのと同じに、大切にされつづけている神社なのではないのかな。。
ここに最後立ち寄って、坂本龍馬は脱藩していったのだとだけ聞いていた、
そんな大決心、どんなところかと思っていたら、
仰々しくない、
手をかけるという人の姿が見えるような鳥居だった。
なんだかとても感動して、何よりも鳥居をながめてそこを去ったのだった。