明けて今朝、
山寺の、
一本の大きな木にもたれて、眼下の景色を見ながら
休憩していたら、
薫風が吹いてきて、
あんまり気持ちよくって眠くなって、
そのまま眠ってしまったら、
どんどん体が小さくなって、木にどんどん包まれて、根本の穴におさまる、
夢を見た。
私も、穴の中の骨となった。
びっくりして、飛び起きた。
Thursday, 23 May 2013
Wednesday, 22 May 2013
山寺
思い立って、今日、日帰りで、山形県の山寺に行ってきた。
松尾芭蕉の、俳句、
「静けさや、岩にしみいる蝉の声」
で知られる山寺である。
山の奥へ奧へと、1015段もの階段を登る。
登りながら、何度も、何度も、胸が詰まる感じがした。
その一番のふもとのところでは、
ちょうどいま、50年に一度ということで、
この山を開かれた慈覚大師の作られたご本尊、
この山を開かれた慈覚大師の作られたご本尊、
薬師如来像がご開帳になっている。
拝観しようと人々が何時間もの列をなしていた。
困ったなあと思って、ふらふらとしていたら、
このお堂の外に立っている柱に、綺麗な四色の紐が垂れていた。
人々が入れ替わり立ち替わり、
その紐を握って何やら拝んでいるのだった。
結局、
事情があって並ぶことが出来なくても、お姿を拝見できなくても、誰でも、
外の紐を握って、薬師如来様の御手と間接的につながることができるようになっていたのである。
(*もし薬指じゃなかったらごめんなさい。私の記憶の責任です。)
(*もし薬指じゃなかったらごめんなさい。私の記憶の責任です。)
入山するとごつごつした切り立った岩に、若緑が美しかった。
遠くの上方には藤の咲いている紫が見える。
千数段の階段を一段一段あがっていくと、
岩の隙間に、あちらこちら、小石が積まれ、風車が回り、
塔婆のような、名前の書かれた木片がおかれ、それには木のわっかがついている。
わたしは、そんなわっかを初めて見た。
若くして亡くなってしまった人が、
早く人間界に戻ってこられるように、
早く人間界に戻ってこられるように、
回してあげるためのものだという。
なくした人に与える形、
それはどうしても胸を打つ。
険しい岩ぺきには、自然の風化で出来た無数の穴があって
そのいくつかには、骨が納められているそうである。
なんであんな高い場所の、奇妙な岩穴に骨壺を、
なんであんな高い場所の、奇妙な岩穴に骨壺を、
どうして、ここに、集まってくるのだろう、
どうしてなんだろう、
この山を開いた人はどんな気持ちだったんだろう、
そんな理屈の付けがたい景色にさらされながら、上へ上へと登り、
五大堂という場所に辿り着いて、眺めると、
理屈の付けがたさも極まり、もうとにもかくにも美しい。
ガイドさんの話を盗み聞きしたところによると、
行者さまが、何メートルもある岩の裂け目を、飛び越えるなどの修行をしていたそうである。
ぴょんぴょんと、真っ白な着物の行者さまが、天狗のようにあっちこっち飛び回る姿が見えるようだった。
木のわっか
|
観音様の形をした岩のふもとにも
|
Friday, 10 May 2013
タリーズ閉店
大好きな本厚木タリーズ。
ここで訳した本四冊。
うち出版された本二冊。友人に製本してもらって展覧会に出した本一冊。
四年通った。
今日で閉店。
きっと変化はちょっとずつ起こってた。
私にとっては、翻訳のお仕事は、全部このお店でやったことになる。
感謝の気持ちでいっぱい。私の居場所だった。
誰かにとっては、
あれ?ここに何があったっけ。
ってこともあるんだろう。
いつものように、今日、本を読みに行って、
帰り際、おとといこのタリーズで買った水筒に、コーヒーを入れてもらった。
ありがとうございました、ありがとうございました、って言葉と笑顔で全てだった。
水筒というものには、フィリピンに行った友人が使ってて、
何度かわたしにコーヒーを入れてくれた思い出があった。
きっと人は記憶で新しい何かを好きになる。
その友人が、今日の朝、メイルをくれて、アントニオ・ロペスみてきてほしい、といった。
そのまま、渋谷のアントニオ・ロペス展に行った。
いつだって死に向かっていることは、本当のこと。
砂の山が風で崩れていくように、何の痛みもないかのように、破綻なく。
ロペスの絵には、
ほんとうに、ささやかな一生物の感触としての、
あたたかな、ちくっとした痛みが、ちくっちくっちくっちくっと、
時を刻んで、ずっと響いているような気がする。
今日の朝は、不思議なことに、めずらしく私に小包が届いていたのだった。
兄のお嫁さんのお母さまからだった。
須賀敦子さんと武田百合子さんの本が4冊も!
編集者だったお母さまが、この間お会いしたときに、
女の作家に出会っていないといった私に、
大好きな本だとお薦め下さっていたものだ。
ものすごく素敵な装丁の本だ。
そして葉っぱの形のしおりに、
お手紙が。
感激して、お手紙を書こうと思っている。
(あけるのが今、23時になってしまったために、ご本人にお礼をお伝えする前に、感激そのまま、ここに書くことになってしまった。)
ここで訳した本四冊。
うち出版された本二冊。友人に製本してもらって展覧会に出した本一冊。
四年通った。
今日で閉店。
きっと変化はちょっとずつ起こってた。
私にとっては、翻訳のお仕事は、全部このお店でやったことになる。
感謝の気持ちでいっぱい。私の居場所だった。
誰かにとっては、
あれ?ここに何があったっけ。
ってこともあるんだろう。
いつものように、今日、本を読みに行って、
帰り際、おとといこのタリーズで買った水筒に、コーヒーを入れてもらった。
ありがとうございました、ありがとうございました、って言葉と笑顔で全てだった。
水筒というものには、フィリピンに行った友人が使ってて、
何度かわたしにコーヒーを入れてくれた思い出があった。
きっと人は記憶で新しい何かを好きになる。
その友人が、今日の朝、メイルをくれて、アントニオ・ロペスみてきてほしい、といった。
そのまま、渋谷のアントニオ・ロペス展に行った。
いつだって死に向かっていることは、本当のこと。
砂の山が風で崩れていくように、何の痛みもないかのように、破綻なく。
ロペスの絵には、
ほんとうに、ささやかな一生物の感触としての、
あたたかな、ちくっとした痛みが、ちくっちくっちくっちくっと、
時を刻んで、ずっと響いているような気がする。
今日の朝は、不思議なことに、めずらしく私に小包が届いていたのだった。
兄のお嫁さんのお母さまからだった。
須賀敦子さんと武田百合子さんの本が4冊も!
編集者だったお母さまが、この間お会いしたときに、
女の作家に出会っていないといった私に、
大好きな本だとお薦め下さっていたものだ。
ものすごく素敵な装丁の本だ。
そして葉っぱの形のしおりに、
お手紙が。
感激して、お手紙を書こうと思っている。
(あけるのが今、23時になってしまったために、ご本人にお礼をお伝えする前に、感激そのまま、ここに書くことになってしまった。)
Subscribe to:
Posts (Atom)